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幼い頃から、兄とは何時も一緒だった。 傍にいる事が当たり前で、兄さえいてくれればどんな事も平気だと思っていた。 何も知らない、弱く不甲斐ない子供……。 兄は微笑を浮かべて傷付いていく人なのだと気が付いたのは、何時だったのだろう。 自分が如何に守られているだけの弱い子供なのだと気が付いたのは、何時だったのだろう。 兄を守りたいと、守れるだけの強さが欲しいと……。 そう強く願うようになったのは、何時からだったのだろう……。 - 呪文 - 「そんなの、判んないよっ」 そう言って、兄の部屋から逃げ出す。 それは、珍しくはない日常の出来事。 常に王の子として物事を考え行動する兄と感情が先に立つ俺とでは、意見の食い違いは珍しくはなかった。けれども、冷静になって兄の考えが正しいと理解し、そうしてすぐに折れる。王の子なのだから、十六の子供の感情論ではいけないのだと、俺は頭では判っていた。 その日、いつもよりも感情的になり兄の部屋を飛び出してしまったのは、その内容よりむしろ、兄の冷静さに苛立ちとやりきれなさを感じたからだったのかもしれない……。 「殿下、どうかなさいましたか？」 「え？ いや。何でもない」 法律を専門とし、俺の教師の一人であるケインが、訝しげな顔をして俺を見ていた。今は勉強の時間だったと思い出し、それに首を左右に振って応え本に視線を戻す。 ケインの説明を右から左に聞き流し、俺は考え事に没頭していたらしい。だがいくら集中しようと試みても、一向に授業の内容は頭に入ってはこなかった。 俺の頭の中は、兄の事で一杯だった。 部屋を出る瞬間、わざと反らした目の端に映った表情は何処か悲しそうで、俺は思い出すたびに胸が痛んだ。向き合っている時には浮かべなかった、目を反らした瞬間に浮かんだ兄の表情。 兄が決して意見を変えないのは分かっていた。実際、冷静になって考えると、自分の考えの方が王子としては間違っている。 いつもは十分とかからず兄の意見の正しさ認めていた。それが、今日に限ってはニ時間経っても兄に謝りに行けないのだ。 盛大に溜め息をついてしまった俺を、ケインが困ったように見ていた。 結局午後の授業はさっぱり身に付かず、ケインは諦めたように今日の授業の箇所を復習しておくようにと授業を締めくくった。 未だにのんびりと勉強をしている俺と違い、兄は既に父の政務の手伝いをしていた。以前から少しずつ父の手伝いをしていた兄だが、半年前、父王の暗殺未遂の事件があってからはますます政務に関わるようになっていた。 俺よりも大分忙しい兄はなかなか掴まらない。自分から兄と話せる貴重な時間を放棄してしまった俺は、そのことを既に後悔していた。 「兄貴は？」 「エドガー様は陛下の名代で砂漠にお出かけになりました」 兄が自室に戻っていないことを確認し、侍従に訊ねると意外な返事が返ってきた。 「えっ。……じゃあ何時戻るんだ？」 「明後日の午後のご予定です」 困惑気味の俺に、侍従が困ったような顔をする。何か悪いことでも言ってしまったのかと思ったらしい。 その侍従に笑顔で礼を言い、自室に戻る。部屋に入ったと同時に、俺は盛大に溜め息をついてしまった。 こういう時のタイミングの悪さは重なるもので、俺は明後日はダンカン師匠の所に行く予定だった。 戻ってから兄に会う時間があるだろうか……。 なんとなく、俺はこのタイミングの悪さが続くような気がした。 幼い頃は、何時も兄とは一緒だった。 昔は体が弱かった俺の傍に、兄は何時もいてくれた。 何をするのも一緒だった。 一緒ではいられなくなったのは、何時からだったのだろう。 二日後、俺がダンカン師匠の所から戻った時間は、いつもより大分遅かった。兄の事が気になって集中力が散漫な俺をダンカン師匠はお見通しで、散々しごかれ帰城が遅くなってしまったのだ。 予想通りと言おうか、その展開に嫌な予感が続く。 着替えと夕食を済ませ女官に訊ねると、兄はもう休んだとの事だった。父の名代で砂漠に出向き疲れているであろう兄の睡眠を邪魔するわけにもいかず、俺は明日こそはと決意を固めた。 それにしても、と思う。 兄と自分のなんと差のあることか……。 女官に聞いたところでは、兄は普段と全く変わらずきっちりと政務をこなしているらしい。それに比べ、自分はたった三日兄に会えないだけで集中力は乱れ、頭の中は兄の事で一杯。しかも子供っぽいことに、兄が自分に特に会いたいと思っていないらしいことに寂しさを感じているのだ。 それがなんとも恥ずかしく、俺はベッドに顔を埋めた。 明日こそは、兄の事を考えるたびに浮かんでしまうあの寂しそうな兄の顔を、何時もの優しい笑顔に変えよう……。 次の日、俺が目を覚まし身仕度を整えた頃には、兄は既に忙しい様だった。政務の邪魔をするわけにもいかず、諦めて授業を受けに行く。 益々もって注意力散漫な俺を、ケインが諦めた様子で見ていた。 「殿下、何か気にかかることでも？」 「……いや、ちょっと」 誤魔化そうにもあからさまに考え事をしている自覚はあったので、諦めて手にしていた本を置く。 「兄貴……兄上に話があるんだけど、なかなか掴まらなくて……」 困った様にケインを見ると、彼は納得といった様子で頷いた。 「まあ、マッシュ様の事ですから、エドガー様の事だろうとは思っていたんですけどね。このままではさっぱり進みません。今、行ってきますか？」 「良いのか？ じゃあ、兄貴が時間ありそうだったら……」 そう言って立ち上がった俺の耳に、何やら騒がしい音が聞こえてきた。 訝しげに廊下を見る。ケインが扉を開けて通りかかった女官を掴まえ訊ねると、エドガー様がという言葉が聞こえてきた。 「兄貴がなんだって？」 慌てて駆けより女官に訊ねると、ケインとその女官が困ったような顔で俺を見た。 「エドガー様がお倒れになったそうです」 「……兄貴は部屋？」 その言葉の意味するところを理解するのに数秒を要し、理解すると俺は怒鳴る様にそう聞いていた。俺の質問に慌てて女官が頷く。 返事も待たずに、俺は兄の部屋に駆け出していた。 形ばかりのノックをして、兄の部屋に入り奥の寝室へと向かう。 兄はベッドの上でクッションに寄り掛かり、侍医に怒られていた。顔色は良くはなかったが、起き上がれないほどの事でもないらしく、侍医の言葉に困った様に苦笑を浮かべている。 兄の具合がそんなに酷いものではないらしい事に安堵して、兄の傍に向かう。 侍医が返事も待たずに入ってきた俺を見やり、同士を得たといった顔をした。 「マッシュ様からもよく言って聞かせてください」 何の説明も無しに求められた同意に、困った様に兄を見る。すると兄は苦笑を浮かべたままようやく俺を見た。その瞳に、微かに不安そうな色が浮かんでいるような気がした。 話を聞くと、兄は三日前からあまり食事をしていないとの事だった。忙しくてではなく、食欲がなかったらしい。 「それでも、無理してでも食べないと……」 正論を唱える俺から、兄が困った様に目を反らした。 「分かってるよ。だから……」 「無理をして食べたけれど戻してしまった、と」 口篭もる兄の言葉を侍医が続ける。 「それならそれで仰ってください。そんな状態で無理をして砂漠に行かれるから、倒れたりするんです」 「しかし、最近は父上も体調が優れないご様子だし。私が行かないと……」 「とにかく、何か持ってこさせますから、口に入れてください。あと、今日は一日休むこと。良いですね？」 「……わかった」 有無を言わせない侍医の言葉に、兄が自分の分が悪いのを認め、溜め息と共に諦めた様に頷いた。 兄のその様子に満足そうに頷き、後を俺に任せると、侍医は部屋を出ていった。 兄は何故か俺と目を合わせようとしなかった。ゆっくりと傍に近付き、ベッドに腰掛ける。 「兄貴？」 声を掛けると、兄がようやく顔を上げ俺を見た。いつもの微笑を浮かべ、だがその瞳には何処となく不安そうな色があった。 俺は何故か兄が酷く頼りなく思え、兄を抱きしめた。 「ごめん、兄貴」 「マッシュ？」 突然の謝罪に、兄が困惑して聞き返す。 「この間の事。ずっと謝らなくちゃって思ってたんだけど、なかなか会えなくて……。子供っぽいことして、ごめん。俺……」 「……わかってるよ」 遮る様に言い、兄が俺の背を優しく撫ぜた。 やっと謝ることが出来たことに、安堵の吐息をつく。兄の肩から埋めていた顔を上げると、目があった。いつもの優しい笑みを浮かべた兄に笑みを返す。 ようやく見ることが出来た、穏やかな優しい兄の笑顔。 何時までも笑っている兄を見ていたいと、そんな事を考えているとノックの音が聞こえた。兄が入室を促す。 兄の肩から手を外し振り向くと、女官が食事を持って入ってきた。 「消化のよいものをと言われたのですけど、スープなら召し上がれますか？」 「ああ、ご苦労様。そこに……」 「後は任せて、下がって良いよ」 兄の言葉を遮り、立ち上がって食事の乗った盆を受け取る。女官が出ていくのを見送ると、俺は不思議そうにしている兄の方に振り返った。 「はい」 「自分で食べられるよ」 幼い子供にする様に兄に食べさせようとすると、兄が呆れた様にそう言う。 「だって俺、してもらったことはあるけど、やったことないんだもん」 理屈にならない理屈に兄は一瞬唖然とし、それから可笑しそうに笑った。 「はい」 駄目押しするようににっこりと笑って見せる。兄は面白そうな顔をして、俺の差し出したスプーンからスープを飲んだ。 「美味しい？」 「うん」 兄の返事に満面の笑みを浮かべてみせる。 兄は何も言わなかった。だから俺も訊かない。 侍医が何故、薬を出すでもなく俺に任せて去ったのか。兄は何故食事を摂れなくなったのか……。 幼い頃、兄は好奇心の塊のような人だった。 体が弱く、それと同時に気も弱かった俺は、何時も兄の後について歩いていた。自由に城から出られはしなかったが、城の中は子供には広く、その中で様々な物に興味を示し学んでいく兄の傍にいることは楽しかった。 兄はフィガロの人間らしく、機械に最も興味を抱いていた。俺はといえば機械に関しては、フィガロの人間としてみれば平均の部類に入る程度にしか勉強はしていなかったが、それでも夢中になって俺にはよく分からない物を慎重に組み立てている兄はとても楽しそうで、そんな兄を見ているのが俺はとても好きだった。 しかしそんな光景は、大きくなるにつれ段々と見られなくなっていった。それは兄が機械いじりに飽きたからではなく、兄の中の優先順位が変わってしまったからだと俺は思った。 段々と、周りの人間の自分に対する要求が分かってくる。 体が弱かった所為で求められる度合いが違うのか、俺はあまりそれについて感じた事はなかった。もっとも父が体調を崩してからは否応無しに知ることになったのだけれども。 兄は以前からその重荷を感じていたのだと思う。自分の事よりも義務と責任を。やりたい事よりもやらなければならない事を。そんな風に行動する事は、王子としては仕方がないのかもしれない。けれども……。 兄が周りの期待に応えていく。まるで個人としての望みが無いかのように、簡単に自分というものを捨てていく。 兄の様子が、俺にはそんな風に思えてしまった。 何時だって、兄と一緒ならばどんな事でも大丈夫。 幼い頃、俺はそんな風に思っていた。確かに、俺は大丈夫かもしれない。でも、兄は大丈夫では無いのかもしれない……。傷付くことを受け入れてしまう兄。何時も俺を守ってくれる優しい兄。 では、兄の事は誰が守るのだろう。そして、兄は誰に頼るのだろう……？ 兄の顔を見ると、兄が安心させるかのように笑みを返してきた。頼ってもよいのだと思わせる様な兄の微笑。兄の瞳に、不安そうな影は見られなくなっていた。 「少し眠ったほうが良いね」 「そうだな」 俺の言葉に、兄が頷いた。綺麗に食べ尽くしたスープの皿を盆ごと机に置く。兄に食欲が戻ったことに安堵した。 「ところでマッシュ。もしかして勉強の最中だったんじゃ……」 今気が付いたらしく、兄が気遣う様に俺を見た。平気平気と笑って見せる。 「後でケインに謝っとく。兄貴のとこに行ったのはわかってると思うから大丈夫」 「邪魔をしてしまったな。すまない……」 兄がそう言って苦笑した。今まで気が回らなかったのは、兄らしくなかった。 「いいから。ゆっくり休まなくちゃ」 そう言いながら、カーテンを引き室内を暗くする。 お休みの挨拶をしようと兄に近付くと、微笑を浮かべた兄と視線があった。 ゆっくりと手を伸ばし、頬に触れる。 兄は、人の感情に繊細なほどに敏感なのだと思った。人が何を望み、何を欲するのかが分かってしまう。昔は自分でもよく分からない自分の望みを、兄が分かってくれる事が驚きであり、嬉しくもあった。 でも、今はそれが酷く不安でならない……。 俺は衝動的に兄を抱きしめた。 「……大好きだよ、ロニ」 「レネー？」 二人きりの時にしか使わない、特別な名を呼ぶ。特別と言う事が、酷く意味のある大切なことに思えた。 幼子にする様に抱き寄せ、柔らかい髪に顔を埋める。眠る為に解かれている長い金の髪が、さらりと肩の上を流れた。 不思議そうにしていた兄が、擦り寄る様に体を預けてくる。 想いが言葉に出来なくて……。 伝えたい想いを伝えられないもどかしさに、兄を抱く腕に力を込める。 「大好きだよ……」 見つからない言葉の代わりに、その耳元で呪文の様に繰り返す。 ぼくは、ここにいます。 貴方は、ここにいます。 だから、独りではないのです。 |
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作成日を見てみたら…２００１年２月って…（汗）。 あまりに妄想が暴走ってて、エドガーがエドガーじゃないというくらい情けないので載せられなかったものです。 も、もう時効？（←意味不明な/笑） 日記で、載せてしまおうかな〜、とか書いてしまったので、開き直って載せてしまいます。 …思いっきり忘れた頃になってしまいましたが（滝汗）。 い、如何でしょう？ こういう話は。問題なしだと良いのですが…。 |