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- Ｉｎｎｏｃｅｎｃｅ - 『綺麗なもの』を見た時に、沸き起こる感情は二つだ。 それを何時までも綺麗なままにしておきたいというものと、自分の手で汚し、壊してしまいたいというもの。 それを見た時、自分の中の天秤はそのままにしておきたいという方に傾いた。 それは容易く汚れてしまいそうなほど、危なっかしいものだったから…。 その会話を耳にした時、俺はその内容に大して興味を引かれなかった。 それは何の事はない、煩いガキを犠牲の子羊に、というよくある遊びの計画だった。 閉鎖的な環境に、スケープゴートは付き物だ。況してやガーデンは普通の教育機関ではなく戦闘要員の育成の場であり、緊張を強いられる事柄が数多くある。 怪我は日常茶飯事。他人との差異はあからさまに突き付けられ、落伍者に拾う神などいない。 そういった環境で起こる精神の軋みが、暴力といった形で外に向けられるのは珍しくはない。 精神の歪みが暴力的行為として外に向かう傾向にある男子なら尚更だ。 自虐行為に走る場合もあるが、ガーデンでは圧倒的に前者が多い。そして、暴力的行為は様々だ。 先日行なわれたＳｅｅＤ試験の結果が芳しくなかったことが引き金だったんだろう。 五人ほどの殺気だった集団が対象に選んだのは、煩い子犬だった。 ガーデンに入学して一年以上経った今も、子犬は子犬のままだった。それはかなり珍しい。 あれを可愛いと思う輩もいるだろうが、煩わしいと感じるのも無理はない。 元気いっぱい動き回り、努力を怠らず、陰湿な感情には縁がない。 そんな健全なものは時として妙に苛立たしいものだ。煩い子犬は、たまには躾られるのもいいだろう。 奴はガーデンでは滅多に見られない人種ではあったが、おそらく遅かれ早かれ、いずれは通る道だ。 俺がそんな事を考えている間に、陰湿な計画は具体的に練られていっているようだった。 助けてやる気などさらさらなかった。 十年近くガーデンにいる俺なら、例え相手が年上だろうと助けてやることは簡単だったが、そんな事をしてやる義理はない。 奴がどんな扱いを受けるのかは容易に予想がついたし、軍隊に近いガーデンではそういうことはよくあることだと知っておくのも必要だろう。 外見も性格も、対象になりやすそうな奴なら尚更だ。 そう思っていた筈だった。 「ゼル・ディンはいるか？」 寮の共同スペースでゼルが呼び出しを受けている時、俺がその近くに居合わせたのは全くの偶然だった。 丁度訓練施設から戻って来た時にそれは始まっていた。勿論、俺が夜中まで真面目に訓練をしていたわけはない。 モンスター相手にストレスを発散してきたのだ。尤も、燻り続ける苛々は解消される事はなかったが。 寮に戻ってきた俺は、聞こえてきたその声の方に視線を向けた。 特に隠れていようと思っていたわけではないが、ちょうど向こうからは死角になる位置だったので、ちょっとした好奇心で俺はそのままその様子を眺めていた。 「ゼルならもう寝てると思いますけど」 共同スペースでカードゲームをしているらしい生徒が返事をしていると、気圧ピストンの音と共に寝室のドアが横滑りした。 「あんか用っすかあ？」 半分寝ているかのような声と共に、ゼルが寝室から出てきた。消灯時間まで未だニ時間もある。 いかなお子様といえども、こんなに早くから熟睡するまでにはいたらなかったらしい。 廊下に居る俺の視界に、眠たそうに目を擦っているゼルが入ってきた。 「あ？ ああ。呼んで来るように頼まれたんだ」 多少上ずった声が聞こえる。意外な奴の姿に驚いたのだろう。 そしてそれは俺も同様だった。 寝間着代わりらしいタンクトップと短パン姿の奴は、何時もとは全く違って見えた。 童顔気味の整った容貌を気付かせないほどに存在感を誇示するトレードマークの顔のペイントはなく、普段は逆立てられている淡い金髪はさらさらと白い額に下りている。 伏せられた金色の睫が意外に長い。 何時もは騒がしく動き回っている身体は、今は寝ぼけている為かおっとりと大人しく、その容貌と目を擦る仕草、小柄さ、肌の白さとが、普段とは異なる幼さと繊細さを醸し出していた。 その、繊細さ…。 ガキだガキだとは思っていた。繊細からは程遠い、からかうと直ぐムキになる、騒がしく煩わしいお子様だと。 しかし、意外なはずのその繊細さが、奇妙にしっくりとくる。 不思議そうに上目使いで首を傾げる仕草は、何故か懐かしかった。 「ゼ、ゼル…」 困惑気味のルームメイトの声がした。どうやらルームメイトには人並みの警戒心があったらしい。 夜に親しくもない上級生からの呼び出しなど、あからさまに怪しいに決まっている。 しかし、子犬には人並みの警戒心は期待出来ないらしかった。 ぽてぽてと上級生の後をついて行く。あくびを噛み殺し呑気に歩く姿は、懸念など一切感じていない様だった。 馬鹿か、あいつは。 俺が呆れてそんな感想を抱いてしまうのは無理からぬ事だろう。 助けてやる気など、さらさらない。 そう、思っていた筈だった。 バツが悪そうに見上げてくる表情は、嫌いではなかった。 いくら注意しても、じっとしていられないお子様そのもので廊下を走り、俺に捕まってはぎゃあぎゃあと喚く様に、つい笑いそうになったこともある。 問題児、と腫れ物に触れるような態度を取られたり、厄介事はご免だと言わんばかりに避けられるのは慣れっこだったし、そんな連中に興味はない。だからと言って、何かに興味があるわけでもない。 だが、相手が誰であろうと変わらない態度は、どうやら気に入っていたらしい。 「俺、早く寝ないと朝起きらんないんだけど、どんくらいかかります？」 ゼルの質問に、前を歩く上級生が頭だけ振りかえった。 「少しかかるかな」 「う〜、起きられっかなあ」 唸りながら額に掛かる前髪を掻き上げる。そんな仕草を見てくすりと笑う上級生に、ゼルが懐っこい笑みを見せた。 それを驚いたように見、上級生が複雑そうな表情を浮かべた。 健全で、馬鹿みたいに真面目で、素直で。そんな綺麗なものが、何時でも誰にでも好まれるわけじゃあない。逆に苛立たしく感じる奴も多いし、自分の汚い部分を突きつけられる気がして、嫌いたくなる奴もいる。 しかし、奇妙にゼルは皆に好かれていた。ガーデンでは友人が多いようだったし、備品を壊したりＴボードを乗りまわしたりで叱られる割には、教師にも可愛がられていた。 それが何故なのか、判った気がした。 無邪気な様は、確かに可愛いだろう。 他人のことで一生懸命になる所は、所謂良い奴で。 そして、他人に対する無防備さは…。 汚す事は、酷く容易い。 極端なものほど、壊れやすい。 真っ白なものは、ほんの少しの汚れが瞬く間に広がる。 そしてそれは、元には戻らない。 ゼルが入ってくると、共同スペースで待っていた連中は一様に驚いた様だった。 騒がしく、踏み躙りたくなるような可愛さを持った子犬が、実は血統書つきの綺麗な子犬だったと判かれば、それは誰でも驚くだろう。 しかも今回は、嬉しい誤算というやつだ。 「あの、なんか用っすか？」 「…ああ。遊びに付き合ってもらおうと思ってね」 呼び出しておいて誰も何も言わないのを流石に変に思ったのか、ゼルが訝しげに訊ねると、連中の中の一人が漸く口を開いた。その楽しげな声音が、妙に苛立たしい。 「遊び？」 相変わらず、自分の置かれた状況に全く気が付いていないらしい。小首を傾げてゼルが訊ねる。 「そう。遊びだよ」 そのゼルの様子にくすくすと笑いながら、リーダー格らしい奴がそう言ったのを合図に、室内の数人が立ちあがった。 「楽しそうだな」 共同スペースの入り口に寄り掛かるようにして声を掛けると、室内の全員が驚いた様子で俺を見た。 普段俺は、こういったことには参加する側でも止める側でも関わらない。訝しげな視線が俺に集まる。 「おい、ガキは寝る時間だぞ」 その視線を無視し、目の前に立つゼルを抱き寄せてそう言うと、奴はいつも通り、ガキ言うな、と噛み付いてきた。 ぎゅうぎゅうと腕の中に収めると、からかうのもいい加減にしろ、と暴れながらゼルが喚く。 暴れるゼルを押さえ込み、意味ありげに視線を向けると、リーダー格の奴が忌々しげに舌打ちした。確認するように視線を巡らせる。 残念そうに溜息を付く奴。苦笑する奴。そんな態度に満足そうに目を細めてみせ、俺はゼルを伴いその部屋を後にした。 「結局何の用だったんだ？」 眉根を寄せてゼルが呟く。子どもっぽいその仕草と、未だに分かっていない鈍さに苦笑が洩れた。 「トリ頭が考えても無駄だ」 「トリ言うなっ」 「ほれ、お子様は寝る時間だ」 「俺はお子様じゃねえっ。それにっ、早寝早起きは健康管理の基本なんだぞ」 ぐりぐりと奴の髪をかき混ぜながら言うと、ゼルがむきになって言い返してくる。柔らかな金髪が、指に心地よく絡み付く。 「判った判った」 「いい加減にしろっ」 しつこく髪をかき混ぜていると、ゼルが俺の腕を掴み頭から剥がそうとした。その手は小さく、小柄な身体が大きく育つ見込みはなさそうだ。 細い手首を片手で纏めて掴むと、頬を膨らませて見上げてくる。 「寝て食って、大きく育てよ」 からかう様に言って、最後にもう一度髪をかき混ぜてから手を離すと、奴は小猿よろしく怒り出した。 「うっさいっ。でかけりゃ良いってもんじゃないっ」 人の三倍食べるのに、縦にも横にも増えない体質を気にしているのだろう。 奴とは反対に年齢よりも体格の良い俺が相手なのも手伝ってか、真っ赤になって俺を睨むと、ぷいと視線を外し肩を怒らせて自室へと歩き出した。 その様子を眺めながら喉の奥で笑っていると、ふと、共同スペースの入り口でゼルが振り返った。 「サイファー」 「ああ？」 突然の行動に訝しげに見ると、ゼルが真っ直ぐに俺を見ていた。澄んだ空のような蒼い瞳に、吸い込まれそうな錯覚を覚える。 「おやすみ」 「…ああ」 思わず返事を返し、俺は呆然と奴が寝室に入っていくのを眺めていた。 馬鹿な子ほど可愛い、というのは本当らしい。 素直というか。おそらくそう躾られてきたのだろう。 何の疑問もなく、今まで腹を立てていた人間にきちんと挨拶をする奴に、笑いが止まらなかった。 奴の所為で無駄な時間を費やしたというのに、気分は妙なくらいに良い。 無邪気。無警戒。単純。思考はお子様。そのくせ、可愛らしく箱に入って大人しくしているなんてありえない。 健全なもの。綺麗なもの。 それを汚す事など、容易い。 ここにいれば、否応なく染められ、変わっていくのだろう。 しかし、もし汚れなかったら？ 綺麗なものは、汚すことが容易いが故に、綺麗なままに保つことが難しい。 だが…。 「それも一興」 呟きが洩れる。 自分の思いつきに、意外なほどの満足感がある。 喉の奥で小さく笑い、俺は軽い足取りで自室へと歩き出した。 |
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これもまた、結構以前に書いたものです。 三人称に直そうかな、とも思ったのですが、そのまま載せてしまいました。 サイファーのイメージは尽くす（笑）。というか、サイゼルは密かに尽くすサイファーが好み。 なので私の書くサイファーはゼルに親切です。が、スコゼルなので報われない…。 またもや題が思いつかず、結局安易なものに。題名を考えるのは難しいです。 |