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彼と出会ったのは、ほんの偶然からだった。 喧騒を離れ、散歩をしていたら雨が降ってきた。だから雨宿りをしようと、その家の軒下に降りたのだ。 ただ、それだけの事。 - 黒い羽 - 町から離れた高台に、その屋敷は建っていた。たった一軒。一人で住むには大きな屋敷。 軒下に降りて濡れた髪を忌々しげに掻きあげていると、背後から声をかけられた。お茶を飲まないか、と少し高めの少年の声。タオルを受け取りながら、彼は目が見えないのかと訝った。視線はしっかりと俺の目を見ていて、目が見えないわけではないと判断する。これ見よがしに翼をたたんでみせたが、彼はやはり顔色ひとつ変えなかった。家に入るには邪魔なので、翼はしまい込む。黒い羽が一枚、床にふうわりと落ちた。 火の傍に来ないか、と彼が言う。頷いて暖炉の傍に立つと、椅子を勧められ、紅茶を手渡された。 奇妙な人間だ。 暖かいお茶を飲みながら、彼を観察する。 淡い金髪を、暖炉の火が照らしている。白い肌。薄蒼い瞳。全体に色素の薄い容貌。 視線が合うと、彼はにっこりと笑ってもう一杯どうかと訊いてきた。頷いてカップを渡す。それを受け取った腕は細い。 雨は激しくなってきているようだった。 雨宿りせずに、多少濡れても塒に帰った方が良かったのかも知れない。 窓の外を見ていた俺をどう思ったのか、彼は雨が止むまで居ればいいと言ってきた。一人なのかと訊ねると、彼はそうだと答えた。だから気兼ねは要らない、と。 雨は、止まない。 彼と契約しようとは思わなかった。 翌日の朝、雨が上がったからと屋敷のテラスに出た俺に、彼はまた来るかと訊いてきた。奇妙なことを訊く。けれどもそう訊いてきた彼がどこか寂しそうだったので、気が向いたら、と気がつくと答えていた。彼が、笑う。 それから二週間たっても屋敷には行かなかった。行く理由が、見つからない。 上空から屋敷を眺める。時折彼が人待ち顔でテラスに出てくる。空を眺めて、彼がため息をついた。 諦めたように踵を返した彼が、何かに足を取られたのかその場に蹲った。驚いて、降下する。テラスに降り立つと、羽音に気がついて彼が顔を上げた。白い顔が、嬉しそうに笑う。立ち上がらない彼に焦れて、歩み寄って抱き上げた。足でも捻ったのかと思ったが、どうやら違ったらしい。 理由が、見つからない。 彼をソファーに降ろすと、彼がお茶はどうかと訊いてきた。お茶を飲みに来たのだろう、と。安堵を覚えて、そうだと答えた。彼が、笑う。 クッキーを買っておいたのだと、彼が缶を持ってきた。甘いものは好きかと訊かれたので、知らないと答えた。彼は食べてみろと言う。クッキーをひとつ、口に放りこんできた。神妙な顔でクッキーを食べる俺を見て、彼が笑った。 暖炉の薪が爆ぜる。静かな屋敷には、その音しかしない。 ソファに座って、彼は海が好きなのだと言った。以前は海辺の町に住んでいたのだと。この屋敷には、一年前に越してきたのだという。海を見たことがあるかと訊くので、無論だと答えた。行った事の無いところなど、おそらく無い。 すると彼は、他の土地の話を聞きたがった。彼が質問し、それに答える。彼が、笑う。 人の肌は温かい。 そう聞いた事があったので、彼の頬に触れてみた。冷たい指に驚いたのか、彼が俺の手に手を重ねる。温かい。 彼を抱き上げて、膝に乗せて抱きしめた。寒いのか、と彼が訊く。彼は、温かい。 彼のぬくもりが伝わって、自分の肌が温かさを持つような気がした。 朝、目を覚ますと、彼はおはようと言った。不思議そうに見返す俺に、朝会ったらおはようと挨拶をするものだと彼が言った。頷いておはようと言うと、彼が笑った。彼が笑うので、おはようという事には意味がある。 彼が離れると、自分の身体が無機質なものに戻ってしまった。一晩中抱きしめても、温かい身体にはならない。 食べることは必要無い。けれども彼が朝食を取ろうと言って笑ったので、朝食には意味がある。 朝食の後、彼は本を読み始めた。暖炉の前のソファーに座る。お前も読まないかと訊かれたので、彼を抱き上げ膝に乗せた。彼を後ろから抱きしめて、本を覗き込む。彼は一瞬驚いた顔をして、それから可笑しそうに笑った。 彼は温かい。鼓動が聞こえる。 本を読みふける彼の肩に、顔を埋めた。細い首筋に頬を摺り寄せる。白い肌に口付けた。きっとこれが、甘い香り。 彼が本を閉じ、かまって欲しいのかと訊いてきた。首を横に振り、彼の額に口付ける。彼はくすりと笑って俺の黒髪を柔らかく撫でた。彼の唇にも口付ける。彼が俺の顔を覗きこんで、首を傾げた。お前たちは病気にもならないし死ぬ事も無いと聞いたが本当か、と訊かれたので、そうだと頷いた。何故そんな事を訊くのかと訊ねると、彼は秘密だと笑った。 彼が笑うので、きっとこれにも意味がある。 白い肌に、紅い痕を残す。細い身体は壊れてしまいそうだったので、慎重に丁寧に触れた。彼の手が、暗褐色の髪に触れる。背に回され、しがみついてくる。 彼が触れた場所だけは、温かさを持つ様な気がした。 テラスに降り立つと、屋敷はいつもの様に静かだった。中に入って見渡したが、彼がいない。机の上にメモを見つけて覗き込んだ。買い物に行って来るというメッセージ。自分宛の、短いメモ。 多分これが、嬉しいという事。 屋敷を出て坂を降りてみた。町に向かって歩き出す。人が通ると厄介なので、歩いていく。町の入り口で、荷物を抱えた彼に会った。彼が、笑う。 荷物を奪って彼に並んだ。屋敷に向かって歩いていると、坂の途中で彼が足を止めた。振り返ると、彼が青白い顔で呼吸を乱している。人間には、早すぎたのかもしれない。空いていた手で彼の手を取り、歩調を緩めて歩き出した。繋いだ手に、彼が笑う。 屋敷につくと、ポケットから彼が鍵を取り出した。テラスが開いたままだったと伝えると、来るかもしれないと思ったからと彼が笑った。 これも多分、嬉しいという事。 ポケットからハンカチを取り出して、彼が棚に置いた。上着を脱いだ彼が、お茶を飲むかと訊いてくる。ハンカチに触ろうとしたら、御守りだから触ってはだめだと言われた。触ることはせず、お茶を入れている彼の傍に行く。お茶の乗ったトレイを渡されたので、それを運んでテーブルに置いた。ソファーに座って彼を待つ。 歩いてきた彼に手を伸ばすと、彼は笑って傍に来た。膝に乗せて、抱きしめる。彼が頭を撫ぜ、お茶にしようと笑った。諦めて放すと、彼がお茶をカップに注いで差し出した。受け取ってお茶を飲む。 彼が笑うので、お茶を飲む。 おはようと挨拶をしても、彼はベッドから起き上がらなかった。額に触れると、冷たい手が気持ち良いと言う。何をすれば良いのか判らなかったので、彼がいつもするように暖炉に火を入れ、朝食を摂った方が良いのかと訊いてみた。朝食はお前が欲しければ、と彼が言った。彼は朝食を要らないと言う。人間は食事が必要だと聞いたと伝えると、今日は要らないと答えた。 暖炉に火を入れて、彼を見る。青白い顔は、笑ってくれない。 ベッドの隣に椅子を置いて腰掛けた。彼の額に触れてみる。 どうすれば良いのか、判らない。 二日に一度、彼は起きてこない。静か過ぎる屋敷。静か過ぎる彼。 額に触れると、彼が微笑む。 きっとこれは、不安という事。 お願いがある、と彼が言った。 彼とは契約をしていないし、したいとも思わない。否定を示して首を振ると、声を出さずに彼が泣き出した。慌てて何が望みかと訊くと、手を握っていて欲しいという。 そんな事かと、ベッドの傍に跪いて、彼の白い手に触れた。 彼の手が、冷たい。冷たさに驚いて、温めるように両手で包み込む。指先に口付けると、彼が微笑んだ。 静かな屋敷。静かな部屋。そして、静かな彼。 俺の冷たい手では、彼の手を温められない。 きっとこれが、哀しいという事。 契約をしなかったので、彼の魂は白のもの。 綺麗なまま、運ばれる。 綺麗な魂に口付けた。 白い奴が、困ったような顔をする。 ハンカチを差し出され、頬を伝うものに気がついた。 静かな屋敷。静かな空間。誰もいない部屋。 ふと、彼の御守りを手に取ると、黒い羽が一枚落ちた。 ……きっとこれが、淋しいという事。 |
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私的禁じ手（笑）パラレルネタです（汗）。 （だって、読めるパラレルって実力が必要なのですもの〜（滝汗）。） そういう理由でお蔵入りしていたのを、何を思ったのか載せてみました。 作成日付見たら 2002.11 だって…。ふ、古い。 題名が付いていなかったので、その辺は適当に付けてみました（これといったのが思いつかなかったのです（汗））。 |