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- 囚われ人 - 背に当る石壁が、体温を奪っていくのが判った。手首を拘束している金具が、動く度に肌を擦る。石壁に寄り掛かり、僕は俯いて目を閉じた。動かずに居ると身体が冷えてくる。しかし、余計な体力を使うわけにはいかない。こめかみから流れ出ている血が、首筋を流れていくのが判った。体中が痛む。少しでも動くと、痛みに息が詰まった。 ヴォルデモートはまだ僕を殺す気は無い様だった。圧倒的優位に立って、彼はゲームを楽しむつもりなのかもしれない。まるで猫が鼠をいたぶる様に。全く、狂人の考えることは判らない。さっさと僕を殺した方が良いのだろうに。……まあ、そのお蔭で僕はまだ生きているわけだけど。 窓一つない、微かな明かりだけが置かれた薄暗い部屋に居て、時間の感覚は疾うになくなっていた。 どれくらい経ったのだろうか。ふと、扉の開く音が耳に入った。どうやら食事の時間らしい。囚人らしい扱いで、食事は時折、少量のパンと水が与えられるだけだ。皮肉なことに、ダーズリー家での経験のお蔭でそのことは大して堪えなかった。 靴音が聞こえる。僕は薄目を開けてそれを聞いていた。繋がれた鎖のぎりぎりの位置にトレイが置かれる。食事を運んできた死喰い人は直ぐには去らなかった。死んだとでも思ったのだろうか。長々と僕を眺め、それから彼は戸惑いがちに僕の目の前に立ち、俯いている僕の顔を覗き込んだ。 「静かに。騒ぐと首をへし折る」 不用意に近付いた死喰い人の腕を掴んで引き寄せ、首に腕を回す。本当にへし折れるかは甚だ謎だが、僕は力を示すように回した腕に力を込めた。 不思議なことに抵抗は無かった。本当にへし折れそうな細い首だ。背も僕と変わりなく、ほっそりとした体格をしている。僕は思わず力を緩めた。引き寄せるときも抵抗らしい抵抗はなく、あまりの軽さにその死喰い人は女性かと思った程だ。 目深に被った黒いローブのフードの下に淡い金色の髪が見え、僕はそのフードを外してみた。 「……マルフォイ？」 現れた顔を見て、僕は戸惑いを隠せなかった。彼は僕に脅されているというのを意に介した風もなく、僕に後ろから拘束されたまま虚ろに石の床に視線を落としている。彼に以前の様な威勢の良さはない。……あれを威勢の良さといって良いのかは疑問だが、少なくとも僕に嫌味を言う時の彼は生き生きとしていたと言っても間違いではないだろう。 彼を最後に見たときに覚えた憐憫が、ふと蘇る。しかし、これは千載一遇のチャンスだ。他の死喰い人がこんな無用心な真似をするとは思えない。 「……マルフォイ、杖を出して？」 囁くと、漸くマルフォイが顔を上げた。やはり抵抗する様子もなく、彼はローブの内ポケットから杖を取り出すと、それを僕に差し出した。 彼の杖を受け取り、拘束していた彼を解放する。杖を使って手首を拘束している鎖を外すと、僕は久しぶりに自由になった手首を擦った。その間、彼はその様子をだまって眺めていた。 彼は、酷く虚ろだ。弱弱しく、敵意も何も無い。 「……一緒に来る？」 思わず、言葉が滑り出た。その言葉に、初めて彼の顔に表情が表れた。驚いた様に目を見開き、戸惑う様に僕を見る。色の薄い瞳に、一瞬微かに縋る様な色が浮かんだ気がした。 「このまま僕が居なくなったら、君が疑われる。気絶させて置いていったとしても、きっと罰せられるだろう？」 そう言うと、彼が静かに首を振った。 「何故？」 今度は僕が困惑した表情を浮かべる番だった。彼は逃げたくない様には見えない。六年の頃の彼も酷くやつれていたが、今はそれ以上にやつれ、青褪めた顔をしている。 「……母が……」 彼の零した声は、酷く微かだった。 ああ、奴お得意の手だ。 僕は溜息を吐いた。六年の頃に聞いた彼の叫びを思い出す。彼は、今も追い詰められたままなのだろう。不思議なくらいに、今僕が覚えているのは憐憫だけだった。学生時代に散々嫌いぬいた相手に、嫌悪や憎しみの感情は湧いてこない。 彼は諦めた様に俯いて石の床を見た。細い肩。細い首。白く頼りない首筋の上を、細い白金の髪が流れる。 僕はもう一度溜息を吐いた。それは酷く愚かな行為だと、頭の中で冷静な声がする。多分、彼を気絶させ、逃げ出すのが得策なのだろう。 彼の手をとると、白い手は酷く冷たかった。冷えた僕の指よりも更に冷たい。彼が驚いた様に顔を上げる。戸惑う彼の手に、僕は彼の杖を握らせた。 「行って。長居すると疑われるよ」 彼が杖を掴んだのを確認すると、僕はもう一度自分の手首を鎖に繋いだ。それは酷く愚かな行為だ。でも僕は、彼を犠牲にして逃げることが出来なかった。それは英雄的行為でもなんでもない。ただの愚かな自己満足だ。今も、ハーマイオニーやロンや皆は僕を助けようとして頑張っているだろう。それなのに、僕はみすみす逃げる機会を逃そうとしている。 目の前で、彼が戸惑う様に両手で杖を握り締めた。先程の人形の様な顔に、人間らしい表情が現れている。そんな場合でもないのに、僕はなんだか笑いたくなった。 「ほら。早く」 酷く頼りない様子に、思わず促す。思い掛け無い穏やかな声に、僕は自分で驚いた。 彼が困惑に瞬きする。それからポケットからハンカチを取り出すと、座り込む僕の方に歩み寄り、こめかみの傷に押し当てた。 「ドラコ、何をしている？」 突然掛けられた声に、マルフォイの身体が微かに震えた。それからゆっくりと振り返る。その彼の顔には、またあの虚ろさが戻っていた。 「何をしていると聞いている」 「……血が……気持ち悪かったから」 彼が細い声で答えると、死喰い人が喉の奥で笑った。残忍そうな目に、嘲りの色が浮かぶ。 「マルフォイ家の跡取りは血が苦手か。そんなことでどうすんだよ、お人形さん」 からかいの言葉に、彼は顔色一つ変えなかった。ふらりと踵を返し、死喰い人の隣を擦り抜ける。 「いくらあの方のお気に入りの人形でも、あれに不用意に関わるとお仕置きされるぞ？」 言って、死喰い人が彼の細い首に指を掛ける。それでも、彼は顔色一つ変えなかった。煩わしそうに首に回された手を払い、そのまま歩き出す。 「つれないねえ。こっちは美味そうな獲物を前に我慢してるのに」 歌うように言い、また笑う。その耳障りな笑い声を遮る様に、無情に扉が閉まる音が聞こえた。 部屋には静寂が戻り、薄暗い部屋で僕は床に視線を戻した。ともかく、莫迦なことをした上に食事の機会まで逃すわけにはいかない。 パンに手を伸ばすと、鎖がなる音がした。金属が紅くなった皮膚を更に擦る。痛みに顔を顰めていた僕は、目に入った杖に動きを止めた。トレイの影になって向こうからは見えないように、床の上に杖が置かれている。床に落ちた彼の白いハンカチが、目の端に映った。 「ハリー。ハリー、大丈夫？」 「え？」 声に顔を上げると、心配そうに覗き込んでいるハーマイオニーの顔が目に入った。 「えっと。何？」 「もう。ぼーっとしてたから、どうかしたのかと……。まだ痛む？」 言って、ハーマイオニーが顔を顰める。見ているだけで痛いのだろう。彼女の方が痛そうだ。 「うん。まあ少しはね。でも、痛み止めが効いてるから」 「そう。食事、持ってきたわ。食べられる？」 「勿論。もうお腹ペコペコだよ」 おどけた様に言うと、ハーマイオニーの表情が和らいだ。 「それは良かったわ」 そう言って、ベッドの上に小さなテーブルを置き、温かな食事の載ったトレイを置く。僕は持っていた杖をテーブルの上に置くと、スプーンを手に取った。 温かなスープを口にすると、身体の中から温まる様な気がした。 「……その杖」 声に食事の手を止めて顔を上げると、ハーマイオニーが戸惑うような顔で杖を見ていた。それから問う様に僕の顔を見る。 「ああ。……マルフォイの」 スプーンを置き、彼の杖に触れる。その杖は、まるで持ち主を恋しがっている様な気がした。 あの後、僕は深夜に館を脱出した。逃げる途中、消極的ながら彼を探したけれど、彼の姿は無かった。出口と彼の姿を探す途中、お気に入りの人形という言葉が僕の脳裏を過ぎった。彼はあの時、何処に居たのだろう？ 結局僕は彼を見つけないまま脱出口を見つけ、館を後にした。肋骨の骨折と至るところの骨のひびと、数え切れない切り傷を土産に。怪我は思ったよりも酷く、助けに来たハーマイオニー達と再会して直ぐに気を失った程で……。だから、あの時の僕にはそれが限界だった。 彼は、大丈夫だっただろうか。 彼は何故、この杖を僕に残したのだろうか。 彼は……。 「……そう。……なら、きちんと返さないとね」 ハーマイオニーの言葉に、僕は顔を上げて彼女を見た。驚く僕に、ハーマイオニーが笑みを浮かべる。 ―――ああ、そうか。 憐憫と、罪悪感と、戸惑いと……。僕の中では彼に対する様々な感情が混ざり合っている。彼を置いてきてしまったことを後悔してもいるし、同時に仕方がなかったとも思う。けれども、そうだ。一つだけ、はっきりしていることがある。 僕は、もう一度彼に会いたい。会って、話をしたい。 「……ああ、そうだね」 そう答えて、僕は笑みを返した。 - end - |
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７月８日にスパイダーソリティアしながらぼーっと妄想に走っていたら降りてきたねた（笑）。 ハリーは深い考えがあるわけでもなんでもなく、その時はただなんとなく言っちゃっただけなのだけど、 ドラコさんは気に掛けてもらえたのがもの凄く嬉しかったりするのよ。突発的に助けてしまうくらい。 とか脳内妄想しておりました（笑）。 ２００７年７月１９日に、原書７巻が出る前にと慌てて日記に載せた話です。 更新が滞っているので、題名つけて載せてみたり。 2007.10.08 |