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どうしてこうなってしまったのかしら、とハーマイオニーは首を傾げた。 ロンが隠し事を持ってから、自分に余裕が無くなっていた事は自覚している。自分のことに忙しくて、他人にまで気が回らなかった。そうしてふと気が付くと、ハリーまでもがおかしい。 上の空で箒を磨いているハリーを眺めて、ハーマイオニーは考え込むように唇に拳を当てた。 「ハリー？」 「え？ 何？」 「箒、落ちてるわよ」 何時の間にかハリーの手は止まり、箒は絨毯の上に転がっていた。慌てて拾い、再度磨き始めようとするハリーから箒を奪うと、ハーマイオニーは箒を壁に立て掛けた。 「どうかした？」 「……何が？」 答えが来るまでの間が怪しい。ハーマイオニーは嘆息を漏らした。間の長さからいって、どうやら話してしまいたい気持ちの方が優勢のようだ。 「それはこっちの台詞だわ。ここ二週間、溜息ばっかりで、変よ？」 「……はっきり言うね」 「そりゃあね。やたらと苛々してたと思ったら、今度は沈んでるし」 「……なんていうか、気が付いたときには手遅れというか、今更というか」 ぼそぼそと呟くように漏らされた言葉に、ハーマイオニーは眉を顰めた。喧嘩を売っているのかと、些か凶暴な感情が湧いてくる。それが被害妄想の八つ当たりだと判っていたので、ハーマイオニーは「何が？」と促した。 「あー。えっと。……今更どうにもならないし、諦めるか忘れるしかないのかなあ、なんて」 そう自分で言いながら落ち込んでいくハリーを眺め、ハーマイオニーは目を瞬いた。 「……もしかして、恋愛事？」 「……そんな意外そうな顔しなくても」 言って渋面を作ったハリーは、どうやら恥ずかしいらしい。相手は誰、と訊きたくなるのを抑えて、ハーマイオニーは言葉を捜した。 「どうにもならないなんて、判らないんじゃない？ それとも当たって砕けた後？」 まるで自分に言っているようだ、とハーマイオニーは自嘲気味に思った。今のハリーは、何もせずに無理だと決め付けている自分と同じなのかも知れない。 「当たんなくても判るよ。嫌われてたし。……っていうか、僕も色々言っちゃったし」 最後の方は口の中で呟く様で、よく聞き取れなかった。しかし、どうやら思い人とハリーはあまり関係が良くないらしい。ハリーが色々言った人物、と当たりをつけてみて、ふと思い付いてしまった人物にハーマイオニーはまじまじとハリーを見た。そういえば、最近ハリーは彼に絡まなくなった。それはそういう訳だったのだろう。 「何？」 「……そんなの、判らないわよ」 だって、お互いにずっと気に掛けていたじゃない。続く言葉を飲み込んで、ハーマイオニーは励ます様に笑って見せた。気休めの言葉が欲しいときもある。きっと今ハリーの欲しい言葉は、背中を押してくれる言葉なのだろう。それに、もしかしたら今回はただの気休めでもないかも知れない。 変わらないものなど、ないのだろう。 ハーマイオニーはポケットに手を入れて、中にある白いハンカチを握り締めた。 そして、変えられないものも、無いのかも知れない。それに、とハーマイオニーは思った。うだうだと悩み続けるのは、性に合わない。 ハーマイオニーは、情けなさと悔しさに唇を噛んだ。 はっきりさせてしまおうと思ってから、既に一週間が経っている。どうするかを決めたというのに、未だにそれを実行に移せていないという事が悔しかった。 常に自分は、行動することを良しとしてきたのに。 じんわりと涙まで滲んでくる。癇癪を起こしそうになりながら、ハーマイオニーは廊下を一人歩いていた。 先程廊下で見かけたロンは、何かのメモを手にしていた。どうやら彼は未だに上手くいっているらしい。 三ヶ月程前に彼の恋人の噂を聞いたとき、ハーマイオニーは咄嗟に上手くいきっこない、と思った。ロンはそういった方面では子供で、直ぐに振られると思ったのだ。気が利かず、鈍い。まるで自分の方が一段上にいる様な、そんな余裕が何処かにあった。動揺もしたが、心の何処かでそれを期待していたのだ。 そんな自分の汚さも嫌だった。 言えば良かった、と後悔すると同時に、ロンが振られて戻ってくるのを待っていたのではないか。 そのことをロンやハリーに打ち明けることなど出来なかった。軽蔑され、呆れられるに決まっている。その前に、せめて祝福できる人間にはなっていたい。 大広間に向かう前に涙を止めようと、ハーマイオニーは立ち止まった。ポケットに手を入れてハンカチを握り締め、硬く目を閉じて感情を押さえ込む。涙を拭いたくは無かった。 「……気分でも悪いのか？」 「……マルフォイ」 人気の無い廊下で立ち止まっているのを不思議に思われたらしい。掛けられた声に顔を上げると、怪訝そうに眉を顰めたドラコが立っていた。 向けられた優しさに、涙が出そうだった。情けないところを一度見られている所為か、気が緩む。 「違うの。ただ……」 「何してるのさ」 突然掛けられた冷たい声に、ハーマイオニーとドラコは驚いて声の主に視線を向けた。 視線の先で、ハリーが不機嫌そうな顔で立っていた。そのハリーの表情に、ハーマイオニーは狼狽を覚えた。ドラコを見るハリーの目は酷く冷たい。ハリーは、彼の事が好きなのではなかったのだろうか？ それともそれは自分の思い違いだったのだろうか？ それとも……？ 見上げると、ドラコの方も表情を変えることも無くハリーを見返している。 「ハーマイオニーに、何を……」 「違うの！」 ハリーの言葉を遮って、ハーマイオニーは感情が噴出したように声を上げた。 「違うの！ 私が勝手に落ち込んでたのよっ。ロンには彼女が出来ちゃうし、それでもやっぱり好きで、でも私は考えが汚くて……。彼は心配してくれただけ！ 私を理由にしないで！」 怒鳴ってしまうと、妙にすっきりした。少し八つ当たり気味な部分もある気がしたが、それにしても、いくら不器用とはいえハリーのドラコに対する態度はあんまりだ。肩で息をして、どうにでもなれ、といった風に顔を上げる。そこで、ハーマイオニーは動きを止めた。 「えーと……」 驚きに目を瞬かせているハリーとドラコの後ろに、困ったように頬を掻いているロンが立っていた。 目の前で固まっているハーマイオニーと困り顔のロンを交互に眺め、ドラコは漸く気が付いた。 どうやら、ハーマイオニーに誤解されていたらしい。 ハーマイオニーのことが気になっていたのは、ロンが彼女を好きなことに気が付いていたからだ。様子のおかしいハーマイオニーに言葉を掛けるのを躊躇しなかったのは、なんとなくロンを借りている気がしていたからだった。 困った様に自分に視線を向けるロンに、ドラコは微笑を浮かべた。やはり彼は、人が好い。 「ウィーズリー、彼女には話してしまって構わない。……それと、もう来なくていい。グレンジャー、諦めるのは早計だ。落ち込む必要も全くない。……すまなかった」 潮時なのだろう、とドラコは思った。微かな期待を捨てきれずにいたが、もう終わりにしなくてはならない。これ以上ロンに寄り掛かるわけにもいかないし、それに、判ってしまったのだ。ハリーは、自分が喧嘩を売ろうが売るまいが、何をしようと自分のことが嫌いなのだ、と。彼が自分の手を拒んだときから、全く変わることなく。 ハーマイオニーと居た時に向けられた目で、思い知らされてしまった。 ―――彼は、僕が視界に入るだけで嫌なんだ。そこまで、僕は嫌われている。 それなら、もう終わらせてしまうべきだろう。 「ポッター」 声を掛けると、ハリーが眉を顰めた。久しぶりに真っ直ぐに交わった視線は、やはり冷たい。この期に及んでそれを悲しく思う自分の未練がましさに、笑うしかない。 「……何？」 「……僕はもう、君に嫌味や皮肉を言ったりしない。君には関わらない。君の望み通りに」 ドラコの言葉に、ハリーが怪訝そうな表情を浮かべる。その言葉すら信じては貰えないのだろう、とドラコは思った。それでも、きっといつかは納得してもらえるだろう。そして、彼は自分の存在を忘れるのだ。記憶するにも値しない人間だと。この三週間そうだったように、彼は自分を視界にすら入れなくなる。 どうして自分はいつも、手に入らないものばかり欲しがるのだろう？ いつも、欲しいと思うものは、自分には遠いものばかりだ。 それでも、とドラコは思った。ほんの少しくらい。ほんの一瞬だけで良い。手に、入れたい。 「……嫌がらせは、これで最後だ」 言って、ドラコはハリーの襟元に手を伸ばした。 規則正しい靴音を響かせて歩き去るドラコを、振り返ることは出来なかった。思考が麻痺したかの様に、何が起きたのかが理解出来ない。ハリーは呆然とその場に立ち尽くした。 「な、何？ 何？ 今の？」 「……何って、両想いだったって事じゃない？」 「……え？」 首を傾げたハーマイオニーの言葉に、間の抜けた声が二つ零れた。 「だ、だって、だって、僕はずっと……」 そう。自分はずっと彼に八つ当たりをしていたのだ。自分の気持ちが判らないままに。まるで、関心を引くために好きな子を苛める子供の様に。そしてつい先程も、ハーマイオニーに嫉妬し、どうすれば良いかが判らずに不機嫌を装っていたのだ。 ハリーは戸惑いに収まりの悪い黒髪を掻き乱した。それからそっと、自分の唇に触れてみる。 眼前に迫った秀麗な顔は何処か悲しそうで、潤んだ瞳に驚きよりも先に胸が痛んだ。 ネクタイを掴む手は微かに震えていて、彼の唇がハリーの唇を掠めると、彼はハリーの目を決して見ずにそのまま立ち去ってしまった。 ―――どうしよう？ どうすればいいんだろう？ 戸惑いに、ハリーは周囲を見渡した。勿論、ドラコの姿は疾うに見えない。 ―――今にも泣き出しそうだった彼を、慰めたいのに。 君の望み通りに、と彼は言った。彼は、誤解している。 自分の気持ちを知られて、笑われるのが嫌だった。決定的なものを知らされるのが嫌だった。だから、一度も変えようとせずにいたのだ。 ―――また、手遅れになってしまう。 混乱に、思考が纏まらない。ハリーはどうすれば良いのかが判らなかった。 「あー、ハリー？ 白い猫の絵は判るよね？」 咳払いの後に声を掛けられ、ハリーは呆けた顔を向けた。 「え？ あ、額縁を三回のとこ？」 「当たり。さっさと行ってきなっ！」 そう言って笑ったロンが、ハリーの背を思い切り叩いた。衝撃に、ハリーの身体がよろめく。 訳が判らないまま、それでもハリーは走り出した。 白猫の抗議の視線を受けたまま、ハリーは緊張の面持ちでそっと扉を開けた。 「来なくていいと言った」 一歩足を踏み入れた瞬間掛けられた声に、ハリーはびくりと身体を強張らせた。狼狽して視線を向けると、ドラコがソファーに膝を抱えて座り、膝に顔を埋めていた。その様子は、何処か幼い。聞こえてきた声は小さく、掠れていた。 「グレンジャーの誤解を解け。彼女は泣いていたぞ」 続いた言葉に、ハリーは漸く合点がいった。どうやら彼は、自分をロンと勘違いしているらしい。合点がいき、それからハリーは不満に思った。 どうやら彼は、ハーマイオニーには優しく、ロンとは親しいらしい。そのことを不満に思い、そして、ハリーは悲しくなった。 それなのに、どうして自分とは上手くいかないのだろう？ ハリーは黒髪を掻き乱し、渋面を作った。 勿論、それは自分が子供だからだ。自分を見て欲しい、構って欲しいと思いながら、決して望みを口にしない。手に入らないものは、欲しがるだけで決して手を伸ばさない。それどころか、欲しがっている事にすら気が付かない。 そして、それはきっと彼もなのだろう。だから互いに、欲しがるだけだったのだ。 ―――ああ、違う。彼は一度手を伸ばした。 膝を抱えているドラコの不器用さに、ハリーは目を細めた。不器用で、繊細で、幼い。 深く考えることもせずに彼を傷つけたのは、自分だ。そして彼は一度手を伸ばしたのだから、今度は自分の番だろう。 ハリーはゆっくりと歩を進め、肩を震わせているドラコを見下ろした。 ―――どうやって慰めれば良いんだろう？ どうやって伝えれば良いんだろう？ ポケットには、勿論ハンカチなど無い。どうやらローブの袖で間に合わせてもらうしかないらしい。 ハリーはドラコの隣に静かに腰を下ろすと、淡い金髪を柔らかく梳いた。 感情を動かすことが出来るのは、関心があるからだ。彼が泣いているのが自分の所為ならば、笑わせることも、喜ばせることも出来るかも知れない。変える事は出来るはずだ。自分はもう、気が付いたのだから。 きっと、変わらないものはない。変えられないものはない。 ハリーは小さく微笑むと、淡い色の髪に優しく口付けを落とした。 - end - |
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お付き合い下さって有難うございました。 ご感想など頂けると、とても嬉しいです。 2011.08.31 |