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僕は目が開けられなかった。……恐ろしくて。 しかし、目を開けなかったからといって、時間が止まるわけではない。 「……ポッター？」 細い声は困惑の色を湛えていた。胡座をかいたまま、意を決して顔を上げる。そう。胡座をかいたまま……。勿論猫は、胡座をかくなどできない。 「こんばんは」 出来るだけ友好的な声音で言ったつもりだった。にっこりと笑顔のオプション付きで。 「貴様っ、ここで何をしている！？」 そう怒鳴ろうとしたマルフォイの声は、きちんとした声にはならなかった。 「静かに。皆起きちゃうよ？」 慌てて彼の口を塞ぎ、顔を覗き込む。了解かと確認する僕を見て、彼の白い肌が真っ赤に染まった。 そりゃそうだ。天敵ににこにこ笑い掛けて、天敵の頭をべたべた撫でてたんだから。 こくりと頷いた彼を見て、口を塞いでいた手を離した。瞬間、マルフォイが枕もとの杖に手を伸ばす。 まさか攻撃する気じゃ、と焦る僕の前で、彼が遮音の呪文をカーテンに掛けた。 「貴様っ、ここで何をしている！？」 律儀に先程邪魔された言葉を彼が発した。 「えーっと……」 誤魔化す様に頬を掻く僕が、何かを言えるはずがない。頭撫でて貰いに来ました、などと言えるわけがない。 「何のつもりだ！？ 何を企んでいる！？」 相当に動揺し、恥ずかしいらしい。真っ赤になった彼の目が潤んでいた。 「企んでなんか……」 始めは確かにそのつもりだったんだけどね、とは言えない。どうしたものかと頬を掻く僕と距離を取るように、彼がベッドの上で後退りした。盾にでも使うつもりか、腕には枕が抱きかかえられている。一生の不覚とでも思っているのかもしれない。あれだけ無防備な日常の姿を見られたら、僕でもやっぱり恥ずかしいだろう。 「企んでなんかいないよ。遊びに来ただけ」 にっこり笑ってそう言うと、マルフォイが真っ赤な顔で悔しそうに唇を噛んだ。散々遊んだもんねえ、この僕と。 「……」 「何？」 何か呟いたマルフォイの声が聞き取れなくて、聞き返す。聞き取れる様にと身を乗り出した僕に、威嚇する様に杖が付き付けられた。 「……出て行け」 ああ成る程。ごもっともな発言だ。 「消灯時間過ぎてるんだけど……」 「僕には関係ない。出て行け」 これ以上の醜態を晒すのは御免だとばかりに、低く呟く。不快そうに睨みつけてくるが、潤んだ目をしていては威力がない。どころか、寧ろ可愛いくらいだ。 「泊めて？」 おねだりする様に言うと、彼の杖を持つ手に力が篭った。怒り心頭といった様子で、彼が眉を顰める。 「何故、僕が君を泊めなくてはならないんだ？ 君がフィルチに見付かろうと、グリフィンドールが減点されようと、喜びこそすれ庇ってやる謂れはない」 「……ペットは一人一匹までだよ？」 「……君が勝手に入り込んだと言えば良い。ここでは僕の言い分の方が通る」 君が黒猫を寮に入れたのだと暗に示せば、冷静な声が返ってくる。 「君が実は猫好きで子供みたいにべたべた甘えてたなんて誰にも言わないから。ね、お願い」 「……それはお願いじゃない。脅迫と言うんだ！」 胸の前で指を組んで、おどけた様におねだりポーズを取った僕の顔面に、枕が見事に当たった。 「僕はもう知らない。寝る」 視線を合わせずに、ベッドに潜り込んだ彼の耳は真っ赤だ。 「じゃ、遠慮なく」 いそいそと靴を脱いでベッドの下に置き、ローブを脱ぐ。制服のままなのがちょっとあれだけど、仕方ない。セーターを脱いでネクタイを外し、ベッドの端に掛けた。 「……まさかそのままで寝る気か？」 渋面を作って、彼が僕を見上げていた。制服のままベッドに入るのは、どうやらお気に召さないご様子だ。お邪魔しますとばかりにシーツを持ち上げていた僕は、そのまま首を傾げた。 「しょうがないでしょ。まさか裸で眠れと？」 僕の言葉に益々嫌そうな顔をして、彼がむくりと起き上がった。それから何やら服を取り出し、僕に投げつける。受け取った布の塊は、寝間着だった。 「ありがと」 手触りの良い布地に、流石お坊ちゃまと感心して、いそいそと着替える。もう用はないとばかりにベッドに戻った彼は、僕に背を向けて枕に顔を埋めていた。 白い項に思わず指が伸びる。柔らかい白金の髪を掻き揚げて、綺麗な線を描く項に口付けた。 「ひゃっ」 まさかそう来るとは思っていなかったらしい。彼は驚いて身を竦め、それから弾かれた様に振りかえった。……僕も自分がそうしてしまうとは思ってなかったんだけど。いや、だって、項が綺麗だからつい……。 「な、何の真似だっ」 振り返った彼の顔は相変わらず真っ赤なままで、彼の焦った様子に、同じく自分の行動に焦っていた僕は少しだけ冷静になった。 「ね、ちゃんと湯たんぽにはなるからさ、こっち向いてよ」 「結構だ」 にべもなく即答。でも、僕は彼が寒がりだと確信している。 後から抱きすくめて、冷たい指を包み込む。びくりと彼の肩が跳ねた。 「僕、君よりは体温高いと思うよ？ なんなら巨大な猫ということで」 「……こんな可愛くない猫はいない」 「うわ、酷っ。でも猫より大きいから湯たんぽとしては優秀かも」 「こんな煩い湯たんぽは明らかに欠陥品だ」 ああ言えばこう言う。何時もの様な冷たい口調なのに、打てば響く会話が不思議と楽しい。酷いな、と苦笑して、無理やり振り返らせた彼の痩躯を抱き寄せた。 白金の髪からは、清涼な香りがした。手触りの良い髪を梳く。腕を突っ張って離れようと頑張る彼を抱きすくめる。 無言の攻防戦は、やがて僕の勝利で幕を閉じた。 諦めた様に力を抜き、腕枕をされたまま目を閉じる。どうやら温かさに負けたらしい。彼の手足は、これで眠れるのかと心配になるほど冷たかった。 目が覚めて、違和感に眉を寄せた。 それから腕の中のぬくもりに気が付いて、漸く自分の居場所を思い出す。思わず笑みが零れた。僕が身動ぎした事で入り込んだ空気が冷たかったらしい。ぬくもりを求めて、彼が擦り寄って来る。抱き止めると、安心した様に再び深い眠りに落ちた。 「……可愛い」 思わず呟きが漏れる。手触りの良い白金の髪を、やんわりと梳く。 「……どうしよう。すごく可愛い」 笑みが浮かぶのが止まらない。 意外な一面を発見して印象が変わるなんて、ありがち過ぎて可笑しいくらいだ。 柔らかな白金の髪を梳いて、現れた白い額に口付けた。 さあ、これからどうしよう？ 「ハリーってば、何処に行ってたの？」 「秘密」 大広間に向かいながら、ハーマイオニーが不満そうに眉を寄せた。自信あったのに、とぶつぶつと呟く声が続く。どうやら我らが優秀な友人は、元に戻す呪文が試せなかったのがご不満らしい。僕だってまさか時間制限ありだとは思わなかったよ。 「何だったら、また実験台になるけど？」 「それ、嫌味？」 「いやいや真面目に」 にっこりと笑った僕と何処かピントのずれた不満を漏らすハーマイオニーを眺めながら、隣でロンが肩を竦めた。どうやらこちらは既に聞き出すのを諦めているらしい。 「また猫になっても良いくらい楽しかったわけ？ なのに何があったか教えてくれないんだもんなあ」 「うーん。今は未だ話せないかなあ」 「じゃ、そのうち話してくれるわけ？」 「さあ。もしかしたら……」 と、そこまで言った時、前方に目を引く白金を発見した。隣でロンが露骨に顔を顰める。目が合った瞬間、マルフォイが不快そうに眉を寄せた。 彼は昨日の事を、無かったことにしてしまっているだろうか。もしかしたら、彼が朝起きる頃には僕はいなかったから、そう思うことにしているかもしれない。 「おはよう」 勿論、僕は無かったことにする気も無ければ、させる気も無い。にっこりと、笑顔付きで挨拶をした。 「ハリー！？」 気でも違えたかと言いたそうな声をロンが上げる。 マルフォイが、何か言おうと口を開いた。それから思い直したように口を閉じ、視線を床に落とす。 「……おはよう」 殆ど聞こえないくらい微かな声で呟くと、彼は僕らの前を通り過ぎ大広間に向かって歩き出した。 目の前を通る白い頬に、微かに朱が走っている。くすりと笑った僕に一瞬向けられた瞳には、羞恥や屈辱といった言葉だけでは言い表せない色があった、と感じたのは僕の願望だろうか。 「ハリー、君……。あ、判った。昨日何か弱みを握ったんだね？」 自分が納得できる答えを得たらしい。そう訊ねてくるロンに意味ありげに笑って見せて僕は、秘密、と同じ言葉を繰り返した。 そう。秘密。 始まったばかりで、手の内は晒せない。 誰にも言わないから、このカードには価値がある。 興味有り気にこちらを見ているハーマイオニーが気になるとこだけど、それでも勝負を下りるつもりは毛頭ない。 視界にお目当ての白金を捕らえて、僕は密かに目を細めた。 さあ、次の手はどうしよう？ back |
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わりと寒い季節という設定だったりします。書き始めた頃は寒かったんです…。 『子猫狂想曲』はこれで完結です。ご感想など送って頂けると嬉しいです。 続編がございます。宜しければ読んでやってくださいませ。 |