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「ハリー、どうしたの？ ぼーっとして」 朝食の席で、紅茶のカップを持ったまま頬杖を付いていた僕は、掛けられた声に顔を上げた。 「え？ 僕、ぼーっとしてた？」 「してたわよ。……何か面白いものでも見えるの？」 呆れた様に言って、ハーマイオニーが僕の視線の先を見た。視線の先は、大広間のスリザリンの席。 「あら、マルフォイがいない」 「……そうだった？」 「ええ。お付の二人はいるのにね。今日も休みかしら」 「お坊ちゃまは軟弱に出来てんだろ。いいじゃん、静かで」 「ここのとこ、静かだもんねぇ」 しみじみとロンの言葉に相槌をうつと、ロンもうんうんと頷く。 「平和平和。結構なことだよ」 「人の不幸をそんな風に言っちゃ悪いわ。三日も休んだら、勉強を取り戻すのが大変よ」 「……そだね」 それもちょっと違うと思うけど、という言葉を飲み込んで、当たり前の様に言うハーマイオニーに僕とロンは反論を控えた。二人とも、無駄という言葉を今までの経験でよく知っている。 「一時限目は魔法薬学よ。早めに行きましょ」 既に臨戦態勢の様なハーマイオニーに促され、僕達は朝食を終えて大広間を出た。 今日の予習の個所を確認するハーマイオニーの声を、頬杖を付いたまま聞き流す。隣ではしっかり捕まったロンが、みっちりと仕込まれていた。迷惑そうな顔をして、その実彼が嬉しそうに見えるのは僕だけではないだろう。 日光の入り込まない地下にあるこの部屋は薄暗く、ぼんやりと視線を滑らせても、学友の表情まではははっきりとは見えない。前方の席で、数人の女子の笑い声が上がった。スリザリンの席からそろそろ時間だという声が聞こえ、僅かに室内の話し声が低くなった。もう数分すればスネイプが来るだろう。 後一分。そんなことを考えてぼんやりと時計に視線を向けていると、席の横を黒い影が過った。スネイプの授業に、こんなぎりぎりに来る生徒はいない。驚いて顔を上げた僕の視界に入ったのは、薄暗い室内でも目に付く白金。隣でロンが嫌そうに顔を顰めた。 僕達に視線を向けることもなく、彼は取り巻き二人の間の席についた。まるで僕達の存在に気が付かなかったかの様だ。いつもとあからさまに違う態度に、隣のロンが意外そうな顔をした。 すぐ後にスネイプが顔を見せ、それについて会話を交わすこともなく授業が始まった。恐らく皆、彼の態度は時間がない故の行動と思ったことだろう。 前方の席に座る彼に視線を向ける。薄暗い室内で表情は見えない。微動だにせず、彼はスネイプの話を聞いている。ノートにメモを取る仕草も、いつもと変わらない様に見える。 けれどもその日、彼は鍋を爆発させたシェーマスにも、手順を間違えたネビルにも、そして難癖をつけられ減点された僕にも、薄笑いさえ浮かべなかった。そして、シェーマスとネビルには向けた一瞥は、僕には向けられることはなかった。 「なんか拍子抜け」 授業が終わり、食堂に続く廊下を歩きながら、ロンが呟く様にそう言った。 「そういえば、静かだったわね。……良かったじゃない」 「まあね。でも、なんかさあ」 「物足りない？」 くすりと笑って、ハーマイオニーが肩を竦める。 「風邪が治ってないんでしょ。きっと数日だけよ」 「ああ、そうだね。じゃ、短い平和を満喫しようっと。な、ハリー？」 声を掛けられて、僕はにっこりと笑ってロンを見返した。 「そうだね。……風邪が治るまで」 呟きに、ロンが頷く。ハーマイオニーが微かに呆れた様に肩を竦めた。 気だるさの抜けた声は綺麗に澄み、耳に心地好かった。 驚愕に見開かれた瞳が、嗜虐心を擽る。 いつもの尊大な態度が驚愕に覆われ、それから怯えに取って代わられる様が可笑しくてたまらなかった。声を上げて笑い出したくなる。 ……もしかしたら、綺麗な外見は中身に反してはいないのかもしれない。 彼は、黒い種を持っていないのかもしれない。 その存在すら、知らないのかもしれない。 表情のない顔が、人形の様な容貌をさらに人形らしく見せていた。 緩慢な動作で、まるでそれが義務であるかの様に食事を口に運ぶ。食事をとっている様に見えて、その実彼が殆ど物を口にしていないことに気が付いた。 緩慢な動作は優雅さだけを印象付け、他の部分を覆い隠すらしい。そこだけ時間の流れが違う様に、彼はゆっくりと食事を済ませると、僕に視線を向けることなく大広間を出ていった。 何時も、彼がこちらを見ていることを知っていた。からかいのネタを提供してしまうこともあったし、行動のいちいちに薄笑いを浮かべられてもいた。それはとても、苛立つことだと思っていた。 何時も、彼は僕を見ていた。 今までは、何時も……。 「最近は随分大人しいね」 細い腕を引き寄せると、呆気ないほど容易く彼は腕に収まった。弾かれた様に顔を上げた彼の表情に、怯えが走る。僕の手を振り払い、彼は後退りした。 「ここにも隠し部屋があるって、知らなかった？ ホグワーツって、なんでこんなに隠し部屋があるのかな？」 上機嫌な僕に、彼が怪訝そうな顔をする。壁を背に、彼は僕を睨み付け、僕が近付くと無意識にか身を引いた。青白い頬に手を伸ばすと、触れる前に叩き落された。 「……僕に触れるな」 怯えを隠す様に低く呟いた声は微かに震えていて、無意識の内に笑みが浮かぶ。 「何故？」 問い掛けて、伸ばした手が叩き落される前に彼の細い手首を掴んだ。力を込めれば容易く折れてしまいそうだ。戯れに、力を込めて壁に腕を縫いつけた。彼の顔が苦痛に歪む。 僅かに潤んだ薄青い瞳が、僕を見る。 まっすぐに交わる視線に、燻っていた苛々が静まるのを感じた。彼の薄青い瞳に、僕が映っている。 そのことに満足感を覚え、彼の肩口に顔を埋めた。彼の身体が、微かに震える。 「何故？」 ゆっくりと、言葉を紡ぐ。 耳元で繰り返した問いに、応えはなかった。 触れた白金の髪は、思った通りに細く柔らかだった。もう一度触れたいと思っていたそれを弄びながら、整髪料で整えていない自然な状態を見て見たいと思った。それは白い額を、さらりと流れるに違いない。 髪と同じ白金の睫が、青白い顔に影を落としている。白い頬に触れてみても、彼はぴくりとも動かなかった。 頬から細い首筋へ、そこから薄い肩へと指を滑らせる。陶磁器の様な、白く滑らかな肌。彼の肌は何時も冷たい。やはり彼は人形の様だ。 その彼が生きているのだと証明する、薄青い瞳が見たかった。 それは何時も、強い光を宿して僕を見る。睨み付ける様に。蔑む様に。某かの感情を湛えて……。 ……彼は、僕のものだ。 奇妙な陶酔感と、充足感があった。触れた肌が心地好い。 ただ、薄青い瞳が自分を映していない事だけが気に入らない。 閉じられた瞼にそっと指を滑らせる。 しかし、それが開く気配はなかった。 next |