|
隠し部屋にあるソファーに腰を下ろし、ハリーは落ち着きなく出入り口に視線を向けた。 彼は来るだろうか？ ふとそんな疑問が頭を過る。しかし、ハリーは彼が来ることを確信していた。彼を泣かせてしまった日から、何処となく友好的な関係が続いているような気がする。 進展だと思っても良いのだろうか。 そう考えて、ハリーは戸惑いを思えた。進展とはなにがどのようになのか。そして、どうありたいと思っているのか。この後に及んで彼への感情を、絵画を愛でる様に、とは誤魔化せない。 ふと、耳に入った音に思考が中断された。ハリーは顔を上げ、隠し部屋に入ってくる人物に目を向けた。 白金の髪が、日の光を受けて煌く。しなやかな動きで素早く室内に入り、ドラコが入り口を閉じた。彼が振り返る動作に合わせて、黒いローブが弧を描く。優雅な所作でハリーに近寄ると、彼が怪訝そうに首を傾げた。 とくり、と心臓が跳ねた。一気に顔が紅潮する。 「ポッター？」 「あ、えっと。来てくれてありがとう」 「何か用でも？」 「また話しが出来ないかと思って……。駄目かな？」 窺う様に見ると、ドラコが否定を示して小さく首を振った。それから、眉根を寄せる。 「ポッター？ 熱でもあるのか？」 伸びてきた白い手に、ハリーが目を見開いた。ひんやりとした指先が額に触れ、黒髪を掻き揚げる。額に触れた手のひらの冷たさが心地良い。 ハリーは顔の熱が高まるのを感じた。きっと今、自分は耳まで紅いに違いない。 「……熱い。医務室に行った方が」 「なんでもないんだっ」 裏返ったハリーの声に、ドラコが驚いた様に目を見開いた。離れていく白い手が名残惜しい。ハリーはその手を視線で追った。 彼が、自分に触れた。 そのことに、ハリーは益々顔が紅潮するのを感じた。目で追った白い手首には、もう傷跡はない。どうやら綺麗に治ったらしい。 「ポッター？ 大丈夫か？」 「うん、大丈夫。なんでもないんだ」 訝しげな声に、にっこり笑って頷いて見せる。 もし自分が触れたとしら、彼は手を弾くだろうか……？ 鼓動の跳ねる音が耳の奥で煩いくらいに響いた。彼が部屋に入ってきてから、それは静まることを知らないかの様だ。 「……手首の傷、綺麗に治ったんだね。判創膏貼って、肌は大丈夫だった？」 言いながら、ハリーが慎重にドラコの右手に触れた。手首が見える様に、僅かにその手を引き寄せる。鼓動が、最高潮に達した。 「ああ、平気だ。……あ……の、判創膏……」 言い淀みながら、ドラコが口の中で礼らしきものを呟いた。良く聞き取れなかったが、真っ赤になって俯いている彼にはそれが精一杯なのだろう。 「どういたしまして」 ハリーはにっこりと笑うと、その白い手首から手を離した。緊張に、指が震えそうだ。その手を膝の上に戻し、弾かれることのなかったそれを押さえ込む様に組んだ。 ドラコがつられたように微かな笑みを見せる。 ―――彼に、触れたい。 沸き起こる衝動を、ハリーは懸命に押し殺した。不用意に彼に触れるなど、これ以上は恐ろしくて出来ない。手を弾かれたくない。嫌悪されたくない。拒絶されたくない。 「綺麗な肌に痕が残らなくてよかっ……マルフォイ？」 誤魔化す様に発した言葉に、ドラコの表情が凍りついた。微かに青褪めた様に見える顔色に、ハリーは狼狽して眉を寄せた。 「マルフォイ？ どうしたの？ ……僕、何か変なこと言った？」 「……何でもない」 掠れた声で発せられた言葉は、本当のことだとは思えなかった。 「もしかして僕、君が嫌なことでもした？」 「本当に、なんでもない。……今日はもう、寮に戻る」 何かを振り払う様に、ドラコが小さく首を振る。 「うん」 無理に止めることはできない。ハリーは小さく頷くと、心配そうにドラコの顔を覗き込んだ。顔を上げたドラコが、ハリーの顔の上に視線を止める。戸惑う様に右手が動いた。白い指先が、酷く熱いものにでも触るかの様に恐る恐る伸ばされる。細い指先がハリーの頬に触れ、やんわりと撫ぜた。ドラコが安堵した様に息をつく。 ハリーは石像の様に硬直して動けなかった。ドラコの意図が全く判らない。しかし、今不用意に動いてはいけないことだけは判った。彼は一体、何を確かめようとしているのだろう？ ほんの短い間の出来事にも関わらず、とても長い時間が経ったような気がした。ドラコの指が離れていくのを見とめると、ハリーは安心させる様に笑顔を浮かべた。 「それじゃ、また今度。……日曜日に会える？ 午後一時にここで」 「日曜日。午後一時に」 確認する様に呟くと、ドラコが頷いた。どうやら笑顔を作ることが出来ていたらしい。ドラコの緊張が少し和らいだ様に思える。 「それじゃ、また」 ハリーが笑ってそう言うと、ドラコは小さく頷いて部屋を出ていった。 残されたハリーは、無意識の内にドラコの触れた頬に手を添えていた。冷たい指の感触が、はっきりと残っている。恐る恐る触れてきた指は、微かな震えを伴っていた。 果たして自分は、彼の嫌がっている何をしてしまったのだろうか？ そして彼は、一体何を確かめたかったのだろう？ ハリーは閉じられた入り口を、考え込む様に凝視した。 next |