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沈み込む気分に、ハリーは深く溜め息をついた。 それでなくとも毎週顔を合わせなくてはいけない人物に、余計に関わらなくてはいけないのは気が重い。 反りの合わないその教授は、実験室の隣にある準備室に居ることが多い。実験終了時のごたごたに紛れてしまえればと考えていたハリーは、既に静まり返っている実験室に再度溜め息をついた。 どうやら一対一で向き合わなければならないらしい。 諦めて準備室の扉をノックしようとしたハリーは、室内から聞こえてきた声に手を止めた。何処か機嫌の良いその声には、ハリーには向けられる事は有り得ない優しい響きがある。 何となく入り難いものを感じて、ハリーは扉の前から離れると実験室の椅子に座った。持っていた羊皮紙を眺め、時間を潰す。何とか終わらせたレポートは、実験に失敗したハリーに課せられた特別課題だった。無理やり期限に間に合わせた為、内容には今一つ自信がない。 眉根を寄せて羊皮紙を眺めていたハリーの耳に、澄んだ声が響いた。 「有難うございました。それでは、失礼します」 聞き覚えのある声に顔を上げると、扉から出てきたのは思った通り白金の彼だった。驚きに固まるハリーを見止め、同じようにマルフォイが驚きに目を見開く。 「マルフォイ？ 何してんの？」 先に口を開いたのはハリーだった。彼が自分と同じ様に特別課題を出されていたとは考え難い。その質問に我に返ったようにドラコが瞬きをする。 「先生に質問をしていたんだ。……そう言う君は？」 小首を傾げて返された質問で、ハリーは皆が皆自分と同じようにスネイプと関わりたくないと思っているわけではないと思い出した。特に彼はスネイプのお気に入りで、ハリーには理解できないことに何故かスネイプを慕っている。 「レポートを提出しに」 「ああ、君が失敗した実験の……」 「そう。失敗したやつの」 少し拗ねた風に答えれば、ドラコが小さく笑う。普通に交わされる会話が嬉しく思えて、ハリーは見せるように手にした羊皮紙を振った。 「実験中は集中してないと危ないぞ？」 「判ってるつもりだったんだけどね。……どこか間違ってる？」 羊皮紙につられた様にハリーの元に歩いてきたドラコに、ハリーは羊皮紙を机の上に広げて見せた。目の前に立ったドラコがそれを覗き込む。羊皮紙に書かれたハリーのあまり整っているとは言い難い文字の上を、ドラコの視線が辿る。 ハリーは目の前で伏せられた長い白金の睫を眺めた。どうやら真剣に読んでいるらしい。ドラコはハリーの様子にも気が付かない。 「ここ。これの沸点は７８度だから、色が変わり始めるのは約７０度だ」 言って文字の上を滑った白い指を、ハリーは視線で追った。繊細な指先は、同じ年の男のものとは思えないくらい細く、綺麗な形をしている。その指が羊皮紙を掴み、正面がハリーの方を向くようにそれを置き直した。それからもう一度、同じ個所を指差す。 「ええっと……ちょっと待って」 ハリーは慌てて杖を取り出すと、訂正個所の文字を消した。それからインクと羽ペンを呼び寄せ、言われた通りに訂正する。ドラコの視線を感じ、緊張で上手く字が書けなかった。読み易いようにか、ドラコがハリーの隣から羊皮紙を覗き込む。どうやら熱中しているらしい。触れるほどの近さで、微かな香水の香りがハリーの鼻腔を擽った。 「ここも。薬草の粉末を使用するのは、水分を混入すると危険だからだ」 言って、ドラコがハリーを見る。近い位置にある秀麗な顔に、心臓が煩く鼓動していた。ハリーはドラコを見ないように羊皮紙に視線を固定したまま、こっそりと喉を鳴らした。 「ポッター？」 怪訝そうな声が耳元で聞こえた。 「えっと。……ここ？」 慌ててハリーがペンを走らせる。跳ねる鼓動に邪魔されて、上手く文字が書けない。 どうやらハリーとは違い、ドラコの方は触れるほどの距離も全く気にならないらしい。寧ろ羊皮紙に書かれたハリーの出来の悪いレポートの方が気になるのだろう。熱心に文字を追う横顔を、ハリーはこっそりと覗き見た。長い白金の睫が、ゆっくりと上下に揺れる。 「ここも」 言って、ドラコの指が文字を辿る。ハリーはドラコの丁寧な説明を聞きながら、こっそりと笑みを浮かべた。綺麗に澄んだ声が、柔らかく耳に響く。 彼は、親しい人間には優しい。 ハリーは、以前にこっそりと彼を見ていたときに感じたことを思い出していた。 結局殆ど最初から最後までレポートの内容を確認すると、漸くドラコが羊皮紙から顔を上げた。 「これで大丈夫だと思う」 満足そうに頷いて言ったドラコに、ハリーが笑みを返す。 「ありがとう。助かったよ」 にっこりと笑って見せると、ドラコの頬に微かに朱が走った。それから、はにかむ様に笑う。その様子が、可愛い。 ハリーが口を開こうとした瞬間、隣室の扉が開いた。二人が視線を向けると、準備室から顔を見せたスネイプが、怪訝そうに二人を見ていた。 「何をしているのかね？」 眉を顰めているのは、二人がまた諍いを始めているとでも思ったからなのだろうか。 その考えに、ハリーはくすりと笑みを零した。勿論、それがスネイプのいつもの表情なだけかもしれない。しかし、諍いどころか寧ろハーマイオニーよりも丁寧に勉強を教えてもらっていたなど、スネイプは思いもしないだろう。 「ポッター、レポートの提出なら早くしたまえ。我輩も暇ではないのでね」 どうやら密かに笑っているハリーの態度が気に障ったらしい。スネイプがいつもの粘着質な口調で声を掛けてくる。次いで、スネイプがドラコに視線を移した。 「ミスター・マルフォイ？」 「失礼します」 ハリーに対するのとは全く違う何処か柔らかな口調で問われ、ドラコが軽く頭を下げて扉に向かった。そのあからさまに違うスネイプの態度に、ハリーは不思議と腹が立たなかった。今までならば腹の立つ行為だったのだろうが、今は寧ろ自分に対するような態度をドラコに対してとられた方が腹が立つかもしれない。 扉を開けたドラコが、ちらりとハリーに視線を向けてくる。羊皮紙を纏めながら、ハリーはこっそりと笑みを浮かべた。それからふと思い立ち、こっそりと手を振ってみる。ドラコは一瞬驚いたように目を見開き、それからはにかむ様に笑みを浮かべた。小さく手を振り替えされて、ハリーの顔に隠しようもなく笑みが浮かぶ。 「ポッター？」 怪訝そうなスネイプの声が聞こえたが、ハリーは笑みを完全に隠すことが出来なかった。 「何でもありません」 俯いて答え、笑みを浮かべたまま立ち上がる。ハリーはスネイプに羊皮紙を渡しに向かう間も、笑みを堪えることが出来なかった。 彼は、親しい人間に対しては態度が違う。 彼は、好意を抱いている人には、優しい。 next |