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「ハリー、今度の休みに遊びに来ないかい？」 昼休みにぼんやりとしていると、頭上から声を掛けられた。顔を上げると、人よりも高い位置にある鮮やかな赤が目に入った。 「んー。遠慮しとく」 「……随分来てないから。ハーマイオニーも会いたがってる。どうしても駄目かい？」 伺う様に言い、何処か淋しそうにロンが僕を見る。 マルフォイと同居を始めてから三ヶ月、僕はロンとハーマイオニーの家にも行っていないし、彼らも訪ねてきていない。子供ができてからは飲みに行く事も無くなり、育児で疲れているハーマイオニーが慣れるまではと、家を訪ねるのも控えていたから、会わなくなってもう四ヶ月になるのかもしれない。 「ごめん。今度の休みは約束があるんだ」 「そう。……なんだか突然引っ越すしさ、何かあった？」 きっと、訊いて良いものか大分迷ったのだろう。ロンは今日こそはと思っているようだった。 「いや、別に。そのうち遊びに行かせてもらうよ。赤ちゃんも大分大きくなったんだろ？」 「ああ、うん。……ハーマイオニーが会いたがってるから、きっとだよ？」 「うん」 そう答えて、僕はにっこりと笑って見せた。 二人には言えない。 あの家は独りで暮らすには淋しくて、だから引っ越したのだとは言えない。言えば彼らは、頻繁に僕を家に招いてくれるだろう。そして僕は、幸せな家庭を垣間見て、幸せな家にますます憧れて。そして、ますます淋しくなる。 そんな事は、二人には言えない……。 自分の服が洗濯という点でとても厄介な代物だという事を理解したらしく、彼は、普段は僕の服を着ていることが多い。普段着を買ってあげようかと思った事もあったけれど、ほっそりとした彼には少し大きい僕の服を彼が着ているのが何となく好ましくて、僕はそのままにしていた。 その日は、珍しく彼は自分の服を着ていた。僕の服に比べると大分きっちりとした印象を受ける。 「本気だったとは思わなかった」 「好きにしろって言ったじゃない」 にっこりと笑って見せると、彼が肩を竦めた。どうやら気にしないことにしたらしい。僕との会話を早々に切り上げて、飛行粉を手に暖炉に向かう。暖炉の向こうに消えた彼を追って、僕も飛行粉に手を伸ばした。 着いた先は、とても綺麗なところだった。大きく綺麗な建物に、手入れの行き届きた広い庭。空気も綺麗で、風が心地良い。どうやらこの辺りの気候は穏やからしい。 面会用に用意されていると思われる広い応接室に通されて、僕はそこから窓の外を眺めた。病院のようなところを想像していたが、そういうところでは無い様だ。 何処も彼処も清潔に保たれている様だが、病院特有の薬臭さはない。ここに住んでいる人達は皆、悠悠自適に暮らしているらしい。 暫くすると、ノックの音がして人が入ってきた。二人のうち一人には見覚えがあった。息子と同様に淡い金髪の品のよい婦人で、言われなくとも彼の母親だと判る。その後ろに立っている女性は、彼女の世話をしているのだろう。質素で清潔な身形のその若い女性は、ご用の祭にはお呼び下さいと言い残し、直ぐに退室した。多分気を使ったのだろう。 「やっと会いに来てくれたのね。嬉しいわ」 「お久しぶりです、母上。お元気そうで何よりです」 立ち上がって母親を迎えた彼を、彼の母親が抱擁する。彼女は穏やかな微笑を浮かべている彼の頬を撫で、目を細めた。 「あなたも元気そうね。安心したわ」 言って微笑を浮かべた母親を見る、彼の目が優しい。 彼の母親に簡単に挨拶をし、僕は庭を散歩しに行くという二人を、ここで待っていると言って見送った。きっと、二人だけで話したい事もあるだろう。 ぼんやりと窓から庭を眺めていると、仲が良さそうに歩く二人の姿が目に入った。穏やかに会話をし、笑みを交わしている。 その様子に、何故だか僕は苛立ちを覚えた。 彼の母親は、何不自由なく暮らしている様だった。以前と変わらず、とはいかないのだろうが、身の回りの世話をする人間がいて、贅沢とまではいかなくとも穏やかに苦労など知らずに過している。 彼女は、自分の息子がどうやって金銭を得ているのかを知っているのだろうか……？ そう考えると、苛立って仕方がなかった。健康には気遣うし、息子を愛してはいるだろう。でも、彼女は知ろうともしない。息子が彼女を気遣い、彼女の為に尽くすのを当たり前の様に受け取っている。 一番苛立つのは、彼が以前よりも幸せそうだという事実だ。何かを得た様に、彼は以前よりも穏やかで、満ち足りている。 僕は彼が、自分が何時いなくなっても大丈夫な様にと、母親の為に金を貯めている事も知っている。得た金を全て送ってしまっているのは、その為だ。 それすらも、彼女は知らない。そして、それで彼は、幸せなのだ……。 苛立ちに、僕は一人唇を噛んだ。 「元気そうで良かったね？」 「ん？ ……ああ」 家に帰って寛いでいる時に僕がそう話し掛けると、彼がふわりと笑った。その様子はとても幸せそうで、学生の頃の触れられることを拒むような冷たさや、壊れ物の様な印象が嘘の様だった。 あの頃の彼は、自分の周りに線を引き、常に緊張して神経を張り詰めていた。不用意に触れれば傷付き、また、相手を威嚇した。 こんな風に、穏やかに笑ったりはしなかった。……いや、出来なかった。 それなのに……。 「なんだ、また飲むのか？」 「うん。良かったねって事で」 ワインを出してきた僕に、彼が呆れたような顔をした。最近飲む回数が増えてきているという自覚はあった。 ……酔っていれば、彼に触れることが出来る。 酔っていないと、彼が口を開くのが怖くて、彼に触れられない。酔っている時なら、怖くなったら眠ってしまえば良い……。 「何か入れないと、直ぐにまわるぞ」 テーブルに出したつまみには手を付けず、ひたすら飲む僕に彼が言った。うんと頷いたものの、やはり手を付けずにいると、彼が溜め息をついた。それから、呆れた様にチーズの欠片を僕の目の前に差し出す。それを彼の細い指ごと口に含み、ぺろりと指先を口の中で舐めると、彼が酔っ払いと呆れた様に呟いた。 離れていく指を眺めながら、僕は膝を抱えた。 「……そんなにお母さんが大事？」 「何？」 「そんなに、大事？」 怪訝そうな顔をした彼に、もう一度同じ事を訊ねる。彼は何を当たり前のことを、というような顔をした。 「家族なんだ。当たり前だろう？」 あんな母親でも？ 何も知らず、何も知ろうとしない。重荷でしかなくても、それでも……？ そう訊きたかった。でも、そんなことは訊けない。肯定されるだけだと、判っていた。 「……そうなの？」 「……もう酔ったのか？ 全く、無茶な飲み方をするから」 「酔ってない」 抱えていた膝を下ろし、隣に座る彼に向き直る。色の薄い瞳が、僕に向けられていた。 「僕は、酔ってない」 言って、彼の頬に触れる。不思議そうに僕を見ている彼に、ゆっくりと口付けた。驚いた様に微かに開いたままの唇から舌を差し入れ、そのまま深く口付ける。 ―――僕を、愛してよ？ ―――君は、欠陥品でも良いんでしょう？ 柔らかな白金の髪を梳き、そのまま彼の身体に指を滑らせる。ゆっくりとソファーに押し倒し、首筋に噛み付く様に口付けて、手はシャツの釦を外していく。 「ポッター？」 耳元で、声がした。 「……ハリー」 「何？」 「名前で呼んで……」 怪訝そうな声の主に、子供の様に強請ってみる。 「……ハリー？」 彼の声で紡がれた、自分の名が心地良い。 鎖骨の上の白い肌に紅い痕をいくつも残し、胸へとキスを落していく。 願望は、言葉にする事は出来なかった。言葉にしてしまえば、答えがでてしまう。その事から目を背けたまま、僕は冷たい肌に指を滑らせた。 温もりが、心地良かった。ずっと押さえ込んでいたものは今にも溢れ出そうで、僕は一瞬、それでも構わないと思った。こうする事で、何かが伝わればいいのに……。 そうして衝動のままに触れていて、僕はふと、彼が全く抵抗していない事に気が付いた。彼の細い腕は、軽く僕の背に置かれたままだ。 止めろとも、酔ったのかとも訊かれない。貪るようなキスには、微かに応えてさえもいた。 ―――彼が抵抗しないのは、約束があるからだ。 思い至った考えに、身体の熱が一瞬で消えた様な気がした。 このまま抱いたら、彼はきっと約束は果たしたと、いってしまう。僕を置いて、いってしまう。 自然と、動きが止まった。 僕と彼の間には、何か特別な感情があるわけではない。少なくとも、彼の方はそうだろう。以前のことを考えれば彼が僕を好きになるはずもなく、きっと今の彼にとっては僕はさして関心を払う相手ではない。僕たちの間には、約束があるだけだ。 だから、彼は僕を捨てていってしまう。 「……ふっ……く」 抑えきれない嗚咽が、喉の奥から零れた。 一度堰が切れ零れてしまった感情は、そう簡単には押さえ込めない。渦巻く感情を持て余したまま、僕は彼の白い肌に顔を埋めた。涙が頬を伝い、彼の胸に流れ落ちる。 頬に触れる人肌が、心地好かった。 髪を梳かれる感覚に、僕はゆっくりと目を閉じた。 next |