彼は、まるで新しい飼い主に引き取られたばかりの猫のようだった。 　殆ど食事を摂ろうとせず、毎日一階のソファーの隅に行儀良く座り、静かに本を読んでいる。殆ど口を利くこともせず、口を利くのは何かを訊かれたときにだけ小さく、はい、いいえで答えるくらいだ。自室に篭らないのは、夫人が好い顔をしない所為だろうか。 　僕が通り掛る度に、彼は警戒するように身体を硬くしていた。もっとも、僕の方も決して友好的ではなかったのだけれども。 　大人気ないと判っていても、彼に対して友好的になるなど、不可能だ。僕は彼が、心底嫌いなのだから。今も彼に対して抱く感情は、嫌悪と苛立ちでしかない。勿論、ホグワーツでの記憶もない十歳の子供に対してそれをあからさまに示そうとは思わない。だが、彼に対してわざわざ偽善的に親切な大人を演じる必要もないだろう。苛立ちを抑えているだけでも、誉めてもらいたいくらいだ。 　彼が今も特注の服を着ていることなども、苛立ちに拍車を掛けていた。彼は肌が弱く、そのため特注の布地で作られた服を身に着けている。そういった事情を理解はしていても、それは馴染むつもりがないという無言の拒絶のようで、僕は気に食わなかった。彼がさして食事を摂らないのも、無言の拒絶の様に思える。彼はその権利が自分にあるとでも思っているのだろうか。そのことも気にいらない。 　そんな僕が口を開けば、その口調がきついものになる事は判りきっていたので、僕は極力そうならないようにしていた。つまりは、極力彼とは口を利かないということだ。僕は昼間仕事で家に居ないし、彼は夜早くに休む。僕と彼の生活時間が交わるのは精々が一日四、五時間だ。その間互いに目もあわせないし、関わらない。夫人は何か言いたげだったけれど、夫人の前で子供にきつく当たるよりはその方が良いだろう。実際、時折零れる言葉はきつくなってしまっていたし、それはもう無意識の行動でどうにもなりそうになかった。僕と彼はずっと、顔をあわせれば衝突し、諍いを起こし、果ては杖まで持ち出していたのだから、今更直ぐに変えられるものでもない。……僕としては、変える必要があるとはあまり思ってもいなかったのだけれど。寧ろ少し厳しいくらいでちょうど良いだろうと思っていた。厳しく接すれば、もう少しましに育つかもしれない。 　ウィーズリー夫妻と僕、そして彼という奇妙な組み合わせでの食事時の会話は、いつも夫人とウィーズリー氏の二人でなされる。時折僕に話が振られることもある。その間彼は静かに食事をし、ほんの少し、申し訳程度に食事を口にすると席を立つ。 「ハリー、おかわりはいかが？」 　男の子は良く食べるものと思っている夫人はいつも作りすぎる嫌いがあった。勿論、作り過ぎになってしまう原因の一つに、彼が人よりも食べないでいるのに、いつも一人分をきっちりと作っているというのもあるのだろう。 「頂きます。とても美味しいですから。……口に合わない人もいるみたいですけど」 　最後に小さく付け足して、彼の方をちらりと見る。彼の肩がびくりと震えた。それから困ったような表情の夫人に視線を戻し、僕は何事もなかったかのようににっこりと笑ってみせた。 　今までのような我侭や贅沢が許されるわけがない。彼は、変わるべくここにいるのだから。 　僕は彼を気に掛けた風もなく食事を続けた。一瞬気まずい雰囲気が漂ったが、僕がロンからきた手紙の話を振ると気を取り直したように夫人が話始めた。 　彼は気が付かないのだろうか。それとも、気に掛けないのだろうか。夫人はいつも彼が余り食事を摂らない事を気に掛けているのに。自分の作った食事に彼があまり手をつけないこと悲しんでいるのに。そもそもが、与えられた食べ物を残すというのが僕には信じ難かった。昔の僕がこんな風に食事を与えられたら、心から感謝しただろうに。 　その日の夕食は、彼は一人分とまではいかないが、いつもよりも食事を摂っていた。そのことに、僕は小さな満足感を覚えた。 　父親の庇護を失ってやりたい放題が出来なくなった今の彼は、以前とは違いとても大人しい。しかし、彼の本質がそれで変わったとは思えない。彼の我侭は、許されるべきではないのだ。 next

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