「ごちそうさま」
　そうして暫く経った頃、彼が小さく言って席を立った。
「はい。お粗末さまでした」
　言って、ウィーズリー夫人が笑う。それにはにかむ様な笑みを返すと、彼は二階に上がっていった。今日はソファーでの食後の読書はしないらしい。おそらく気を使ったのだろう。それとも、賑やかな空間に、疎外感を感じて居た堪れなくなったのだろうか。相変わらず、表情の乏しい彼の考えは読み取り難い。
　扉の閉じる音が聞こえると、ロンが、そういえば、と話題を変えた。
「財産関係のごたごたは、決着ついたの？」
「ああ。結局殆ど彼のものということで決着がついたよ。そもそも、財産自体は合法的なものだったわけだから当然だ。ま、合法と言っても、少なくとも表面的には、ということだが」
「財産って？」
　ロンとウィーズリー氏の会話が判らずにそう訊ねると、ロンが肩を竦めた。
「マルフォイの財産の話だよ。奴は相続できる財産が山の様にある」
「魔法省が難癖をつけていてね。まあ、莫大な財産だから、あわよくば没収したかったんだろうが。しかし、財産自体は当然彼が相続してしかるべきだ」
「まあね。でも、何とかに刃物にならなきゃいいけど」
「ロン」
　冗談めかして言ったロンを窘める様に、ハーマイオニーが眉を顰めた。やはりロンは彼に対して寛容にはなれないらしい。ロンの様子には、彼に対する嫌悪が滲み出ている。
「それじゃ、成人したら彼はそれを自由に出来るんですか？」
「そうなるね。今は管財人がきちんと管理しているし、不正等がない様に私も気をつけているから、まあ無事に彼の元にいくだろう」
　言って、満足そうにウィーズリー氏が笑う。その様子は、人の好さが滲み出ていて、僕はなんだか嬉しくなった。ウィーズリー氏は、彼を気に掛けてくれている。
「全く。そんなもんがなきゃ、うちが引き取ることもなかったのに」
　どこか不満そうな呟きが、隣から零れた。見ると、ロンが貧乏籤を引いたとばかりに溜息を吐いていた。
「どういう意味？」
　財産がないと何が変わるんだろうか。僕は疑問をそのまま口にした。
「奴を引き取りたいって人間は、結構居たんだよ。魔法省の中では、奴が莫大な財産付きで引き取られるのは周知の事実だったからね。後ろ盾のない子供を引き取って丸め込むのなんて、簡単だろ？」
「それで、何で……」
「トンクスが首を縦に振らなかったんだ。そういうあからさまに下心ありな連中に任せたくないって。彼女は血縁者だから、意見を無視できない。で、結局父さんが引き取ることにしたんだ」
　それを聞いて、僕はますますウィーズリー氏に感謝したくなった。そんな連中に引き取られるだなんて、あんまりだ。そうなったら、きっと碌な育て方をされなかったに違いない。彼に必要なものは、そんな家庭では得られないだろう。
「こういっては何だが、世間は直ぐにはマルフォイの名を忘れないだろう。彼が社会に出た時には、きっと厳しい事が多い。何かあった時に役に立つかも知れないからね。財産があるということは、心強いよ」
　言って笑みを浮かべたウィーズリー氏は、彼の財産をどうこうしようなどとは欠片も思っていないに違いない。僕は無意識のうちに笑みを浮かべていた。
「奴はそれでいいけどさ。結局うちが貧乏籤引いたよなあ」
「ロン！　彼は良い子よ。そんな風に言わないで頂戴」
　ロンの発言に、ウィーズリー夫人が咎める様な視線を向けた。それに顔を顰めたロンは、かなり不満そうだ。
「だってさ、奴の所為で兄貴たちも家に寄り付かなくなったじゃないか」
「それは……皆忙しいし。……彼が慣れるまではと気を使ってくれているのよ」
「どうだか。なんか僕だけ気を使ってない様な言い方だよね。ま、その必要なんてないと思ってるけど」
「ロン！　どうしてそう頑ななの？　あんな小さな子に」
「僕は、ホグワーツでの七年間、奴に碌な目にあわされてないんだ。本当に、最低の奴だった。楽しい学生生活の唯一の汚点だね。……やっと関わらないですむと思ったのに」
　忌々しげに零れた言葉は、ロンの本音だろう。判らないわけでもなかった。実際、一月前の僕は同じことを考えていた。ロンは未だ、自分が彼の事を知らないのだということを知らないのだ。
　どう言えば良いのだろうかと逡巡していると、僕より先にハーマイオニーが口を開いた。
「ロン。彼とドラコ・マルフォイを同一視するのはどうかと思うわ。彼は七年間を覚えていないのだし。それに、それ以前の記憶もぼんやりと霞がかかっている様にされているって聞いたわ。それなのに彼を以前と同じに嫌い続けるのは、公平ではないと思う」
「君も奴の味方ってわけだ。……僕だって判らないわけじゃないけどさ、感情では納得できないよ。僕は以前の奴を知ってるんだから」
　言って、ロンが同意を求めるように僕を見た。この面々では、僕だけが彼の意見を支持すると思ったのだろう。確かに、以前の僕なら一も二もなく賛同したに違いない。でも、僕は違うと思った。僕たちは、彼の事をよくは知らない。今も、昔も。
　四人の視線が僕に集中していた。期待を込めて、または、好奇心を微かに覗かせて。
　口先だけロンに同調しようとは思わなかった。しかし、僕はロンを非難できる立場にもいない。何と言えば良いのだろう？　僕自身も、まだ気持ちの整理がついていないというのに。
　それでも、僕はロンに判って欲しいと思った。あの子が、傷付かない様に。
　そんな風に思える自分が不思議で、何故か僕は、それをとても嬉しいと思った。
「えっと。今の彼とホグワーツでの彼は、違うと思うよ。それに、昔の彼のことだって、僕たち自分で思ってるほど知ってなかったんじゃないかな？」
　裏切られた、といった風な驚愕がロンの顔に浮かぶ。ロンは傷付いて、そして、怒りを覚えたのかも知れない。そのことに胸が痛んだ。でも、僕はロンに僕と同じ間違いを犯して欲しくない。
「……君まで奴の味方ってわけ？」
「そういうわけじゃ……」
「敵とか味方とかいう問題じゃないでしょう？」
　困った様な口調になってしまった僕の言葉を遮って、ハーマイオニーが口を開いた。その声は冷静で、僕よりもよっぽど説得力がありそうだ。それに、彼女の言葉の方がロンは素直に聞くだろう。僕は大人しく口を閉ざした。
「ただ、冷静になって行動してと言ってるだけ。ロンがそういう結論を出すなら、それはそれでロンの自由だと思うけど、それを吹聴するのはどうかと思うわ。あなた、十歳やそこらの子供の生活を乱したいの？」
「十歳の子供っていっても……」
「だから、冷静になって、と言ってるの。あなたは、両親を亡くして今までの記憶もあやふやで、知らない大人しかいない環境に引き取られてきた子供に対して、どういう態度をとれば良いと思う？　相手が誰かは一先ず置いておいてよ？」
　ハーマイオニーの言葉に、ロンが困った様に口を閉じた。その様子は、認めたくはないけれど、と言いたげだ。きっと、相手が彼でなければ、そういう子供にロンはとても親身に、親切にしただろう。
「……それでもやっぱり、僕は、ドラコ・マルフォイは嫌いだ」
「……頭を冷やして、冷静に考えてみて？　あなたがどういう人か、私はよく知ってるつもりよ？」
　今までとは変わってどこか柔らかな口調で言い、ハーマイオニーがロンの肩を軽く叩いた。どうやらそれで少し機嫌が上向いたらしい。もしかしたら、気恥ずかしさもあったのかも知れない。些か罰が悪そうに、ロンがウィーズリー夫妻の方に顔を向けた。
「……久しぶりに帰ってきたのに、ごめん」
「良いのよ。あなたは優しい子ですもの。ずっとそのままだなんて、思ってないわ」
　言って、ウィーズリー夫人が微笑む。
「ちえ」
　丸め込まれたな、とでも言うようにロンが肩を竦めると、ハーマイオニーが小さく笑った。


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