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透明マントをしっかりと被り、足音に気を配る。石造りの廊下は小さな音でもよく響く。いっそ靴を脱いでくればよかったかと小さく舌打ちし、ハリーはゆっくりと歩を進めた。 時刻は前の週に訪れた時よりも一時間ほど早い。廊下から扉の閉まった例の部屋の様子を窺ったが、中に人が居るかは判らなかった。物音はしない。しかし、人がいないという保証もない。廊下の壁に寄り掛かり、ハリーは息を潜めて成り行きに任せることにした。 とりあえず、もう暫く様子を見る。それで誰も現れなければ、このことは忘れる。誰かが現れたら……。そうしたら、自分はどうするつもりなのだろう？ ハリーは何故自分はこんなところにいるのだろうかと眉根を寄せた。どう考えても自分にはかかわりの無いことで、単に好奇心に後押しされた行動だとすればかなりの悪趣味だ。 呼吸の音さえも辺りに響く様な気がした。息を潜めようとすればするほど、その音が気になって堪らない。心臓の音が煩いくらいだった。 ゆっくりと息をして、鼓動を静める。目を閉じて深く呼吸を繰り返していたハリーの耳に、靴音が聞こえた。ゆっくりとした調子で靴音が響く。近付いてくるその音に、誰にも見えていない筈にも関わらず、ハリーは身を竦めた。 目の前に現れたのは、ハリーよりも年上の穏やかで知的な印象を受ける生徒だった。確か彼はレイブンクロー生だ。ハリーが記憶を辿っていると、彼が扉をノックした。 始めから返事は期待していなかったのかもしれない。それとも、ただの合図だったのだろうか。彼はノックの後直ぐに扉を開けた。扉の隙間から、温かい風が流れてくる。どうやら中は廊下よりも温かいらしい。微かな明かりが漏れ、ハリーは彼の後ろから室内を覗き込んだ。 心臓が、跳ねた。心臓が、それこそ彼らに気付かれてしまうのではないかというくらいに煩く鼓動を始めていた。 彼が、ソファに寄り掛かっていた。 物憂げに視線を空中に投げ、こちらに僅かの注意を向けることもしていない。 白金の髪はさらりと白い額に掛かり、簡単に折れてしまいそうに思える程細く白い腕が、肘掛の上に無造作に置かれている。彼は、普段とは異なる雰囲気を醸し出していた。まるで、職人が精魂込めて作り上げた精巧な人形の様だ。青白く思えるほどに白い肌と、銀色がかって見えるほど淡い色合いの金髪が、人形らしさに拍車を掛けている。 冷たい雰囲気を纏っているにも関わらず、不用意に触れたら壊れてしまうと感じたのは何故なのだろうか。 ハリーは透明マントを掴む手に力を込めた。 「こんばんは」 低く柔らかなその声に、彼が漸く視線を上げた。白金の睫がゆっくりと瞬き、薄い色の瞳が部屋の入り口へと向けられる。その瞳からは、何の感情も読み取ることは出来なかった。 視界の明かりが薄れたことで、漸くハリーは我に返った。レイブンクロー生が扉を閉めている。咄嗟にハリーは身体を引いた。彼の様子をもっと見たいと思ったが、中に忍び込むのは躊躇われた。 その判断の正しさを示す様に、暫くすると立ち竦むハリーの耳に微かな物音が聞こえてきた。 ハリーは混乱したまま廊下を歩いていた。まともな思考をしたわけでもなく、しかし身体は勝手に寮に戻っていたらしい。気が付くとグリフィンドール寮の近くを歩いていた。自分が音を立てない様に歩いてきたのかも覚えていなかった。それでも辺りから何の物音もしないことを考えると、問題は起こさなかったのだろう。ハリーは肖像画の夫人に合言葉を言うと、寮の中に入った。 人形のような姿と、会話を交わすでもなく漏れ聞こえてきた彼の声。 思考から追い出すことの出来ないそれに、ハリーは大きく息を吸った。心臓が煩いくらいに跳ねている。透明マントを脱ぎ、寝間着に着替えて寝台に入り込むと、ハリーは固く目を閉じた。 深夜にこっそりと会う恋人達が少なくないことは知っていた。同性の恋人というのもホグワーツでは黙認される傾向にある。ちょっとした好奇心で一時だけ、という事もままある。だから不思議なことではない筈だ。 そう自分を納得させながら、ハリーは違和感を拭えないでいた。 何も映さない色の薄い瞳。取引という言葉。そして、彼の何処か潔癖さを思わせる普段の素行は、興味本位という可能性を否定している。況して、本当に恋人等ということはありえない様に思えた。 例え嫌いあっていても、否、寧ろ嫌っているからこそ、ハリーは彼を目にする機会が多い。常に強い光を宿して自分に向けられていた瞳は、あの時はまるで人形の様だった。目の前のレイブンクロー生に対して、何らかの感情を持っていたとは思えない。 嫌悪を隠そうともしない攻撃的な態度と、それに伴う彼の自信に満ちた行動。それらは彼の本質からくるもので、いつまでも変わらないものだとハリーは思っていた。それが彼なのだと。 彼に対して抱いていた嫌悪感が、小さく揺らぐ。 まるで凪いだ湖面に投じた一石が、静かに波紋を広げる様に。 next |