日常は平和だった。大きな事件もなく、表立ったヴォルデモートの動きも無い。煩わしい日常の筈のスリザリン生との諍いは、先陣を切って嘲笑を浴びせ掛けていた人物が居なくなった所為か、すっかり鳴りを潜めていた。勿論二寮の仲が修繕されたというわけではなかったが、いざこざにまで発展することはなかった。 　穏やかな日々に、しかし、ハリーは苛立ちを覚えていた。 　魔法薬学の授業を右から左に聞き流したまま、教卓の前の席に視線を向ける。スネイプもスリザリン生同様にハリーに難癖を付けることが少なくなっていたので、ハリーにとって魔法薬学は嫌な教科でもなくなっていた。なによりこの科目は、スリザリンとの合同なのだ。 　視線の先では、ペンを握るドラコの手が淀みなく動いていた。視線が黒板とノートを行き来するのに合わせて、淡い白金の髪がさらりと流れる。 　反目し合う事が少なくなってから、グリフィンドールでのドラコの評価は前ほど悪くはなかった。寧ろ衝突していた頃を殆ど知らない一年生には人気がある。今まで散々彼を悪し様に罵っていた上級生でさえ、彼の容姿を褒める発言をしていた。今の彼は、まるで芸術品の様だ。笑うことも、顰められることもない表情は、彼を余計に人形らしく見せていた。 　唇を噛んだ瞬間、手元から小さな音とともに煙が上がった。視線を向けると、攪拌する手の止まっていたフラスコの中の透明な液体が、紅い色を帯びて煙を上げていた。 「グリフィンドール二十点減点」 　抑揚の無い声が室内に響く。スリザリンから小さく笑い声が上がり、ハリーは視線を上げた。 　薄い色の瞳がハリーを見、一瞬の後に逸らされる。視線を向けた先のものが興味の無いものだったかのような仕草に、ハリーは眉を顰めた。板書を終えた彼が薬品をフラスコに注ぎ、白い指がフラスコを揺らす。やがて液体が青みを帯びていく様から、ハリーは視線を逸らせずにいた。 「ハリー。新しいのを作って」 「え？」 　声に振り向くと、鍋を前にハーマイオニーがハリーを見上げていた。 「こっちはもう出来そうなの。入れるタイミングを逃しちゃうわ」 「あ、ごめん」 　言って、ハリーはフラスコの中身を廃液入れに撒けた。紅い液体が、硝子を伝って流れ落ちる。フラスコを洗いながら視線をドラコに向けると、彼は間違えることなく薬品を完成させているところだった。 　最近は静かで良いとロンと笑いあったのは、ほんの数週間前のことだ。奴は変わらないと言っていたロンが、ある日、最近は静かだと言ったのは。やっと大人になったのかと、決して大人とは言い難いロンが言い、それを聞いたハーマイオニーが肩を竦めていた。 　彼が絡んでこなければ、清々したと思う筈だった。煩わしいものが一つ減ったと喜び、そして、彼の存在など忘れる。その筈だった。 　―――こちらを見ろ。 　床を睨みつけ、ハリーはそう思った。知らず、握った拳に力が篭る。 　―――僕を見ろ！ 　強い感情に襲われ、ハリーは唇を噛んだ。 「ハリー！」 「え？」 　ハーマイオニーの鋭い声に顔を上げると、周りの生徒が自分を見ていた。ハリーは減点の声を聞きながら、床に散らばった硝子の破片を慌てて拾い集めた。 「手でも滑ったのかい？」 「……うん。ごめん」 　隣に屈み、ロンが割れたフラスコの欠片を拾う。小さく謝罪を口にして、ハリーはふと手を止めた。物陰から視線を向けると、淡々と鍋を攪拌しているドラコの姿が目に映った。 next

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