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疑問という名のしこりが、ひっそりと育ってゆく。 時間という糧を得て、無視できない程に育ったそれが、こころを絶えず苛む。 その存在を、その重さを、如何すれば忘れることが出来るのだろう……。 - 第二章 - ドラコは明かりの差し始めた早朝の廊下を、一人歩いていた。身を切るような寒さも、ドラコには気にならなかった。しかし、身体の方は寒さを感じているらしい。元々色素の薄い肌は、寒さで血の気を失い病的なまでに青白くなっていた。 ドラコは寮に向かう廊下から外れると、浴場に向かった。寒さに冷えた身体を温める為ではなかった。身体を洗い流すことで、清められると思ったわけでもない。それでも、肌に纏わり付くような不快な感覚を少しでも洗い流したかった。 服を脱いで浴室に入ると、ドラコはまるで潔癖症の様にしつこく身体を洗った。触れられた肌に残る不快感を塗り替えるように、乱暴に肌を擦る。白い肌が紅くなっても、ドラコは身体を洗う手を止めなかった。 ―――こんなことをしても無駄だ。 頭の中で冷静な声がした。こんなことをしても、起こってしまった事が変わるわけではない。それに、洗い流したいのは、自分の中に長く存在する感情という目に見えないものだ。 ドラコは泡を流すと、浴槽の湯で身体を温めることはせずに浴室を出た。衣服を身に着け、ドラコは寮に向かって歩き出した。 日は既に昇り、早朝の清々しい空気が辺りを満たしている。それとは対照的に、ドラコの気分は重く圧し掛かる様だった。 寮の自室に戻ると、ドラコは寝台に腰掛けた。一人の部屋には煩わしい音はなく、静寂がその空間を支配している。ドラコは無意識の内に濡れた白金の髪を掻き揚げた。 そもそも、ハリー・ポッターを選んだのが間違いだったのだ。誰でもよかったとはいえ、自分を心底嫌っている人間を選んだのが間違いだった。取引といったところで、自分を嫌っている相手がそれを守ると思う方が間違っている。 愚かさを自覚して、ドラコは目を伏せた。知らず、自嘲の笑みが微かに浮かんだ。 ―――いつまでも、自分は父の望む息子にはなれない。 段々と、心臓が早鐘を打ち始める。ドラコは浅い呼吸を繰り返した。這い上がってくるような恐怖に、眦に涙が浮んだ。 自分のしていることが、父親に軽蔑される行為だという自覚はあった。それでも、ドラコは止めることができなかった。気が付くと、それを手放すことが出来なくなっていたのだ。それが、父の望む息子から自分を遠ざける行為であっても。 始めは、寮から離れた誰も居ない場所で、ぼんやりと過ごしていただけだった。誰にも煩わされない場所は、まるで外界から隔てられ、そこが守られた安全な場所であるかのような気がした。そこでは色々なことを忘れられるような気がして、ドラコは何時からかそこに通うようになっていた。 始めにそこを訪れたのは、誰だっただろうか。 その誰かはドラコに何かを話し掛け、ドラコが退室を示唆すると笑ってドラコの髪を梳いた。思いがけず優しかったその手に、ドラコは忘れていた記憶が微かに蘇るのを感じたのだ。 幼い頃、父が髪を撫ぜてくれた。抱き上げられ、幼かった自分は嬉しさに父の首にしがみ付いた。 その記憶は、本当にあったことだったのだろうか？ それを確かめたくて、ドラコは促すように目を閉じた。自分を抱き寄せ、髪を梳いたその誰かが、ある日他の行為に及んだとしても無理は無かった。 髪を梳いていただけの手が、ある日衣服の中に入り込んできた時、ドラコはゆっくりと目を開けた。 「取引を、しないか？」 そう告げたドラコを見た誰かは、酷く怪訝そうな顔をしていた。 記憶の海に沈み込む。慣れてしまえば、行為はさほど気にならなかった。それは寧ろ、意識を沈める手助けにすらなった。その後は、行為のことなど無かったことと忘れた。ただ、そのぬくもりだけを記憶に留めた。 相手を認識せず、忘れることで、ドラコは父親が軽蔑するであろう行為を自分がしているという事実に折り合いをつけた。行為は、ただの代償に過ぎなかった。記憶は、いつももう少しで完璧なものになる様に思えた。 そうしてドラコは行為を重ねていった。 ―――自分は、望みとは反対に、どんどん父の望む息子から遠ざかっている。 ドラコは立ち上がり、洗面台の前に立つと胃の内容物を吐き出した。それで背筋を這うような恐怖心が無くなるわけではなかったが、今や習慣となってしまっているそれは治まらなかった。 漸く吐き気が治まると、ドラコは冷たい寝台に重い身体を横たえた。 ゆっくりと目を閉じて、ドラコは思考を沈めようとした。誰かの大きな手が白金の髪を梳く。その感触を思い起こしながら、ドラコはその手の主を置き換えようとした。 髪を撫ぜる大きな手。耳に入る声は、低く落ちついていて……。 ゆっくりと、記憶を再構築する。小さく笑みを浮かべていたドラコの顔が、突然強張った。記憶の中で、白金の髪を梳く手の主は嘲る様な薄い笑みを浮かべたハリーになっていた。 ドラコは目を開け、唇を噛んだ。苛立ちに、強く寝台を殴る。何度繰り返しても、記憶の反芻はうまくいかなかった。やがて、昨晩の行為までもが記憶の中でまざまざと蘇り、ドラコは再び吐き気を覚えた。 翌日の土曜日、ドラコは体調不良を理由に一日中部屋から離れなかった。 深く眠ることは出来なかった。浅い眠りを繰り返したが、その度にハリーの記憶に叩き起こされ、ドラコは睡眠をとることを諦めて寝台からでるとレポートの課題を始めた。 昼食の時間にも夕食の時間にもクラップとゴイルが呼びに来たが、ドラコは部屋を出なかった。二人が持ってきた夕食を少しだけ摘んだが、吐く物を胃に入れただけになったので、それ以上は口にしなかった。 夜になると、ドラコゆっくりと自室の寝台に横たわった。もう、あの場所に行くわけにはいかない。静かな室内で、ドラコはもう一度思考を沈めてみた。瞬間、耳の奥にハリーの強請るような声が響く。ドラコは苛立ちに唇を噛んだ。 next |