屋敷はいつも静寂に包まれていた。父の書斎に呼びつけられたドラコは、覚悟を決めてそこを訪れた。 「今回もまた、マグルの娘に遅れを取ったそうだな？」 　抑揚の無い声が低く響く。その感情のなさに、ドラコは身体を強張らせた。ステッキを掴む父親の手の上に視線を落としたまま、ゆっくりと口を開く。 「……申し訳、ありません」 「……何か、言い訳はないのか？」 　ルシウスが静かに訊ねると、ドラコは漸く父親と視線を合わせた。感情の読めない色の薄い目に、直ぐに視線をルシウスの手の上に戻す。 「……ありません」 　返答に、ルシウスが溜息を吐くのが聞こえた。諦めた様な溜息に、ドラコは言い様のない恐怖を覚えた。父親の目を真っ直ぐに見られなくなったのは、何時からだっただろうか。言い訳をすることで更に父の溜息を聞くことになるのが怖くなったのは、何時からだっただろうか……。 「下がって良い」 「……失礼します」 　暫くの沈黙の後に漸くルシウスが退室を許可し、ドラコは踵を返した。 「……ドラコ」 「はい」 　呼び止められ、ドラコが足を止める。振り返ると、短い沈黙が訪れた。 「……いや。良い。……下がりなさい」 「はい。失礼します」 　溜息交じりの声がまた聞こえる。ドラコは今度こそ踵を返し、書斎を後にした。 　―――父は、自分に掛ける言葉など無いのだ。 　早足で自室に戻ると、ドラコは寝台に倒れ込んだ。 　ホグワーツに入学して直ぐは、ドラコは自信と希望に溢れていた。それまでは、ドラコはルシウスにとって前途有望な息子だった。……少なくとも、多少の期待はされていたと思う。 　それが今はどうだろう？ 　自分は年々父の期待を裏切っていた。成績はマグルの少女に敵わず、クィディッチではグリフィンドールに負ける。そして、年を追うごとに、ルシウスの溜息の数は増えていった。 　叱咤されていた頃はまだ良かった。入学して一、二年は、集団生活に馴染めないドラコの様子をスネイプから聞いていたのか、叱咤と多少の期待の言葉を掛けられていた。 　それが今では、諦めた様な溜息しか聞くことが出来ないのだ。テラスの前に立つ父親と、部屋の中ほどに立つ自分との距離は、年々広がっていくようだった。物理的にも、心理的にも。ルシウスは、決してドラコに触れない。その手は常に手袋に覆われ、ドラコに触れるのはその手が持つステッキのみだ。 　―――やはりあれは、幼い頃の記憶ではなかった。そんなことが、あった筈が無い。 　絶望に、ドラコは胸が締め付けられるようだった。色の薄いルシウスの瞳が、自分は役に立たない息子であると語っていた。だからこそ、自分はいつも何も知らない。教える価値が無いからだ。 　ルシウスにとって、息子は必要かも知れない。けれどもそれは、ドラコである必要はないのだ。自分は血が繋がっているから、その場所に居られるだけ……。 　ドラコは、冷たいものが背筋を這う様な恐怖を覚え、身体を震わせた。硬く目を閉じ、ゆっくりと呼吸を繰り返す。静まり返った部屋の空気は重苦しく、まるで圧し掛かってくるようだった。 　気が付くと、寝台に居たはずのドラコは、見たこともない暗い部屋に居た。いつの間にか、大きな革張りのソファに座っている。黒いローブを身につけ、足は裸足のままだった。 　ふと、ドラコが目を開けたことに気が付いたのか、近くに立っていた人物が振り返った。目深に被った黒いローブのフードから、長い銀髪が流れ落ちた。ルシウスがゆっくりと近付いてくる。父親はソファに座るドラコの前で身を屈めると、手袋に覆われた手でゆっくりとドラコの頬に触れた。 「そのまま、じっとしていなさい。何も見ず、何も聞かず、何も言わずに。……ただ、座っていなさい」 　感情の読めない冷たい目が、ドラコに人形になることを要求していた。役に立たない、失望しかもたらさない息子は、意思などない方が良いのだろう。ドラコがなにも答えられずにいると、沈黙が受け入れた証だという様に、ルシウスが満足そうに目を細めた。黒い手袋に覆われた手が、ゆっくりと離れていく。 　その手は酷く冷たかった。 　ドラコは弾かれた様に目を開けた。目に入った暗緑色がホグワーツの寝台のカーテンだと気が付くと、ドラコは安堵に息を吐いた。 　何時の間にか眠っていたらしい。時計を見ると夜中の二時だった。夢を見ている間に、ドラコはすっかり汗だくになっていた。寒さの為だけではなく、小さく身体が震える。ただの夢だと笑い飛ばすことは出来なかった。 　―――僕は、要らない。 　ドラコは立ち上がると、洗面台の前に立って嘔吐した。既に吐く物は残っていなかったが、吐き気は治まらなかった。ドラコの眦に、涙が滲んだ。 next

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