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「ミスター・マルフォイ」 「はい」 魔法薬学の授業を終え、席を立ったドラコをスネイプが呼び止めた。予想していたことなので、ドラコは落ち着いた様子でスネイプを振り返った。 「体調が優れないようだが……」 「この季節は苦手なので……」 なんでもないことの様に言うと、スネイプが微かに眉を顰めた。口ではなんとでも誤魔化せるが、顔色はそうはいかない。ドラコの肌は、いつもに況して青白かった。 「医務室には？」 「行きました。薬を処方して頂いたので、問題ありません。……有難うございます」 あながち嘘ではない。ドラコは淀みなく返答した。先手を打たれ、スネイプが微かに困惑の色を見せる。 「……そうか。では、無理はしない様に」 「はい。有難うございます」 従順に答えると、ドラコは失礼しますと会釈をして教室を後にした。扉を閉じるまで、もの言いたげなスネイプの視線を感じたが、ドラコはそれに気付かない振りをした。 スネイプを頼ることは出来なかった。スネイプもルシウス同様に、塔にある部屋での行為を軽蔑するだろう。スネイプにそのような目で見られるなど、耐えられない。知られるわけにはいかなかった。 流石に眩暈の問題は無視できなかった。数日の間は栄養剤に頼ったが、それにも限界がある。スネイプの関心を引いてしまったので、その点でも限界だった。行くことを止めてから五日目の朝、ドラコは諦めて大広間に行くことにした。栄養剤とスープだけで持たせていた身体は、脂ものを受け付けそうになかった。ドラコは軽いものを選び、ゆっくりと食事を摂った。 「ドラコ、もっと食べた方がいいよ」 「これも美味しいよ」 久々に大広間で食事を摂るドラコに、左右からクラップとゴイルが懸命に話し掛けてくる。いらない、とあっさりと返答していたが、ドラコの口調に冷たさはなかった。 何故あんなにも大広間に来るのが嫌だったのだろうか、とドラコは訝った。来てみれば、なんと言うこともない。疾うにグリフィンドール生に積極的に関わることは止めていたので、ハリーと顔をあわせることもない。授業中と同じ様に、意識を向けなければいいのだ。 考えてみれば、ハリーのことはさして問題ではなかった。ハリーが誰かに話すとしても、暗黙の約束事を破って非難されるのは彼であり、更に他言されて困るような行為をしていたのは彼も同じだ。そう思うと気分が多少軽くなった。ハリーの視線を感じ、彼が自分を嘲笑っているのだという事実を思い出すと多少苛立ちを覚えるが、それだけだ。 ドラコがどことなくゆったりとした気分を覚えていると、梟の群れが大広間に現れた。凛としたワシミミズクが、その優美さを誇るように舞い降り、ドラコに手紙を渡す。 届けられた手紙に、ドラコの食事を摂る手が止まった。 昼食の時間に大広間には行かず、ドラコは寮の自室に戻ると、仕舞っておいた手紙を開封した。手紙の内容は大したものではなかった。いつもの様に、重要に思えることは何一つ書かれてはいない。 母親の繊細で流麗な筆跡で書かれた手紙には、当たり障りのない近況などが書かれていた。最後にクリスマス休暇をどうするのかと質問が書かれ、自分もルシウスもクリスマス休暇にドラコが家に帰ってくるのを楽しみにしている、と結ばれていた。 ―――楽しみにしている？ 本当に？ 手紙を手にしたまま、ドラコは小さく喉の奥で笑った。それから感情を抑える様に、唇を噛み締める。 母は、確かに楽しみに待っていてくれるかもしれない。しかし、父はそうではないだろう。推し量るように自分を見る父親の姿が目に浮かぶ様だった。それから諦めた様に溜息を吐き、父は自分に何も言わない。 ドラコは手紙を机に置くと、疲れた様に寝台に腰を下ろした。如何に出来の悪い息子でも、父親が陰で何かをしていることには気が付いていた。例のあの人が復活し、今までよりも更に深いところでそれに関わっている。 幼い頃、ルシウスは絶対の存在だった。父の考えはすべて肯定することが当然だった。しかし、ホグワーツで生活をしているうちに、それが揺らいだ。父は何をしているのだろうか？ 父のしていることの結末はどういうものなのだろうか？ そして、自分は何処に行くのだろう？ 父と同じ様に、闇の陣営に組することになるのだろうか？ ……何の為に？ ドラコは内側から胃を掴まれる様な不安と恐怖に襲われた。何も知らないということが、恐怖に拍車を掛ける。 ドラコは気を落ち着かせるためにゆっくりと息を吸い込み、寝台に横たわった。そのまま目を閉じて、思考を沈めようとする。ゆっくりと記憶を引き出し、反芻する。大きな手のぬくもりに、ドラコは微かに笑みを浮かべた。しかしそれは、やはり上手くはいかなかった。ハリーの記憶に邪魔をされ、今までの様に記憶の海に沈んでいくことが出来ない。苛立ちに、ドラコは唇を噛んだ。 塔の上の隠し部屋に行きたかった。あそこでなら、不安と恐怖を忘れて微睡むことが出来るかもしれない。 ―――でも、あそこにはもう行けない。 ドラコは寝台の上に横たわったまま、薄らと目を開けた。いつの間にか拠り所の様になっていた隠し部屋には、もう行くことは出来なかった。そして、記憶の中のぬくもりは、最早ドラコの望んだものとは異なるものに取って代わられた。もう少しで完璧なものになる様に思えた記憶は目の前で霧散し、もう戻らないのだろう。 ―――盲目的に、信じ続けることが出来れば良かったのに……。 ドラコは這い上がって来る様な恐怖と不安とを、これからどう誤魔化せばよいのか判らなかった。寒いわけではないのに、身体が小刻みに震える。 ―――父に必要としてもらえたなら、こんなにも恐ろしくはないのだろうに……。 ドラコは虚ろな眼差を空中に向けた。それからゆっくりと起き上がり、洗面台の前に立つと胃の内容物を吐き出した。吐き気が治まるまで嘔吐を続け、それから力なく壁に寄り掛かる。そのまま床に座り込み、ドラコは石の壁の冷たさに浸る様に目を閉じた。 - 第二章 了 - next |