微かな振動と咳の音で目を覚ますと、辺りはまだ真っ暗だった。腕の中に納めた彼の背を擦る。激しく咳き込んだ彼の喉が大きく息を吸い込み、渇いた音を立てた。彼が僕の服を掴む。抱き寄せて背を擦っていると、段々と彼の呼吸が楽になっていくのが判った。 「落ち着いた？」 「……ん」 「水、飲む？」 「いや、いい」 　言って、彼が僕に擦り寄ってくる。抱きとめて白金の髪に口付けを落とすと、僕はまた彼の薄い背を擦った。 　―――どうしてこうなってしまったのだろう。 　漸く落ち着いた彼の息遣いを聞きながら、唇を噛む。腕の中の身体は酷く頼りない。手の平には薄い皮膚の下の骨の感触ばかりが伝わってくる。体温の低い彼にぬくもりを分け与える様に抱き締めると、その細さまでもが伝わってきて僕は泣きたくなった。 　こんな筈ではなかった。無計画でも、それでもどうにかなるだろうと思っていた。当座の金はあったから、僕たちを知る人のいないところに住む場所を見つけて落ち着いて、働いて暮らしていけば良いのだと。僕はずっとマグルの世界で暮らしていて知識はあるし、若さもある。魔法界で不満を抱きながら生きるよりずっと良いと、そう思っていたのに……。 　始めは田舎で暮らしたいと思っていた。彼はマグルの世界の空気が苦手な様だったので、静かで空気の綺麗な田舎でと考えていた。でも現実はそう簡単にはいかない。僕は田舎がどんなものか知らなかったし、田舎の人間は詮索好きだとか新参者を嫌うだとか、本当か嘘か判らない情報に振り回されて、結局は一旦それなりに開けた町に腰を落ち着けてしまった。……何処かに迷いがあったのかもしれない。魔法界なら、僕は生きていける自信がある。けれども、マグルの世界ではどうだろう？ 　腕の中の彼がまた小さく咳をして、僕は慌てて彼の背を擦った。 　寒さは段々と厳しくなっていく様だった。吐く息が白い。鈍色の空を見上げると、ぽつりぽつりと雨が降り出してきた。僕は荷物が濡れないように紙袋を抱え直すと、歩みを速めた。 　道行く人は誰も僕を見咎めない。ここでは僕は何処にでも居る平凡な青年で、ハリー・ポッターを知らない人の中にあって、この額の傷は傷以上の意味を持たない。 　ここでは、寧ろ彼の方が人の目を惹く存在だ。マグルの世界に足を踏み入れた時は、まるで別の世界から迷い込んだ人間の様に注目を集めていた。ここでは取るに足らない存在のはずなのにどうして見られているのだろうと首を傾げて、その後僕は自分に笑ってしまったのだった。僕の隣に立つ彼の美しい見目も、優雅な所作も、全てがその場にそぐわなかったので。そう。彼にこの世界は釣り合わない。 　静かに降り出した雨が、服を微かに濡らしていた。杖の一振りで濡れた服は乾く。けれども今、僕たちは魔法を使えない。魔法省に見つかる危険は冒せなかった。使えないと判っていながら持っている杖が、僕が魔法界と完全に縁を切れていなことを示していた。マグルの世界で育った僕ですら、最早杖を手放せない。 　では、彼はどうだろう？　生まれた時から魔法があり、また、それが当たり前だった彼は？ 　僕はマグルの世界と魔法界の境界線上に立っている。けれども、彼が立って居るのは……。 next

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