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場所と時間だけが書かれたカードに目を通すと、ドラコは微かに目を細めた。ここ二週間呼び出しは無かったが、どうやらそろそろハリーの気紛れは終わったらしい。二週間前に呼び出された時にドラコが熱を出していた所為で、ハリーは暫く呼び出すのを控えていた様だった。流石のハリーも意識の朦朧とした相手をどうこうしようとは思わなかったらしい。朝目を覚ますと、ドラコは寝台に寝かされていた。何かをした形跡はなく、その場にハリーは居なかった。 重さの残る身体を引きずる様にして寮に戻ったドラコは、結局その後三日ほど寝込んでしまった。身体はだるかったが、不思議と気分は悪く無かった。隠し部屋での夢見が良かった所為かもしれない。 自分に優しいハリー。そんな有り得ない夢にドラコは笑ってしまったが、せめて夢で見るくらいは良いかもしれないと思った。自分を見て、その上で優しいハリーは、まるでドラコ自身に価値があるような錯覚を起こさせてくれる。髪を梳くハリーの手は、酷く心地好かった。 「……莫迦みたいだ」 杖を取り出し、カードを燃やす。空中で燃え尽きるカードを眺めながら、ドラコは呟いた。それが現実には有り得ないことは自分が一番よく知っている。ハリー・ポッターにとっては、ドラコの血も家柄も価値が無い。そして、ドラコ自身にも価値がない。だから、彼は自分の手を取らなかったのだ。彼にとって価値があるとしたら、女の代わりにしても良いと思えるようなドラコの容貌だけなのだろう。 「……莫迦みたいだ」 再度呟いて、ドラコは寮の自室を後にした。 隠し部屋は暖炉に火が入り暖かかった。無意味な行為の為に訪れたのだと思わなければ、その部屋は居心地が良かった。 備え付けられている椅子に座り、ドラコは本を開いた。約束の時間まではまだ一時間ある。気紛れで何時もとは違い早くに約束の場所に着いたので、まだハリーは居ないようだった。机の上に羊皮紙を広げ、ペンとインクを取り出すと、ドラコはレポートを書き始めた。 「熱心だね？」 突然声を掛けられ、ドラコは弾かれたように顔を上げた。弾かれたインク壷が倒れ、羊皮紙に染みを広げていく。集中していた所為か、ドラコはハリーが入ってきたことに気が付かなかった。 「おっと」 小さく言い、ハリーが軽く杖を振る。インク壷が起き上がり、羊皮紙の黒い染みがその中に吸い込まれていった。 「……来ていたのか」 諦めた様に溜息を吐き、ドラコは本を閉じた。ハリーが来てしまったのでは、これ以上課題は出来ない。しかし、驚いたことに、片付けを始めたドラコをハリーが静止した。 「いいよ。続けて」 「……何？」 「まだ終わってないんでしょ？ いいよ。続きをして」 何を企んでいるのだろう。そう思ったが、ドラコはまた本を開いた。結局のところ、決めるのはハリーだ。 室内はペンが滑る音しかしなくなった。時折、暖炉の薪が爆ぜる音がする。数行書いて、ドラコは落ち着かなくなってきた。ハリーが自分を見ている。ゆったりとソファに座り、しかし、片時もドラコから視線を外さない。意地になった様に更に数行書いたが、その視線に耐えられなくなり、ドラコは苛立たしげにハリーを睨みつけた。 「何のつもりだ？」 「え？ 別に。君って姿勢が良いなと思って……」 莫迦にしているのかとドラコは思った。それに、ドラコに言わせてみれば、だらしなくソファに凭れているハリーの姿勢が悪過ぎる。 ドラコは息を吐くと、机の上を片付けた。鞄の中に用具をしまい、それを机の上に置く。ドラコは立ち上がり、再度ハリーを睨みつけた。 「さっさと用件を済ませてくれ。僕は、君とここに一秒でも長く居たくない」 言って、ネクタイに指を掛ける。 「……判った」 何処か感情の抜け落ちた声がした。ドラコは怪訝そうにハリーを見た。 「ここに来て」 ソファに座ったまま、ハリーが言う。ドラコは言われるままにハリーの前に立った。それが足掻きであることを知りつつ、ハリーを蔑む様に見下ろす。言いなりにはなるが、それは表面だけだ。そのドラコの虚勢などお見通しなのだろう。ドラコを見上げ、ハリーが笑った。 「……僕が君に優しくしたいと言ったら、どうする？」 「……意味が判らない」 「そのままだ。僕は君に、優しくしたい」 「君はいつも優しいだろう？ 女性を相手にする様に」 言って、嘲笑う様に目を細める。ドラコの言葉に、ハリーの表情が曇った。 「ベッドの中でだけじゃなく、いつも、という意味だよ」 ハリーがそう言うと、ドラコが喉の奥で笑った。今日のハリー・ポッターは可笑しい。何を企んでいるか知らないが、言っている事のおかしさに彼は気が付いていないのだろうか。それとも、自分はからかわれているのか。 ハリーが何処か悲しそうな顔をしていることを、ドラコは意識から追い出した。 「ベッドの中でだけじゃなくいつも？ もしいつも君が優しいなら、君は僕を抱かない」 「……君は、嫌いなんだよね」 「……女の様に抱かれて喜べと？」 ドラコは怒りを押し殺した。ハリーがドラコを抱くことと、ハリーがドラコに優しいことは両立しない。ドラコを抱き、その上で優しくしたいと言い出すハリーが理解できなかった。 「……そうだね。選べるのは、どちらか一つだ」 ハリーが溜息を吐く。ゆっくりと固い髪を掻き揚げ、ハリーが暖炉の火を凝視した。 表情もなく一点を見つめるハリーが何を考えているのか、ドラコは判らなかった。優しくしたいというのなら、そうすればいいと思う。優しくドラコを抱き、普段も優しくすれば良い。ただ、それでハリーが自分に優しいとドラコが思わないだけだ。 「……君は僕に抱かれるのは嫌いだ。そうだね？」 ハリーの質問に怪訝そうな顔をし、それでもドラコははっきりと頷いた。意味を成さない行動は、無価値だ。 「……同性同士の生殖行為の真似事は無意味だ」 「そうだね……」 言って、ハリーが力なく笑う。ドラコは訳が判らずに眉を顰めた。何故ハリーは当たり前の事を訊くのか。ドラコはマルフォイ家の血を継ぐ義務がある。伴侶を娶り、子孫を残さなければならない。そのドラコが、どうして男に抱かれることを厭わないわけがあるのだろう。 「僕は、君に優しくしたい。……だから、今日で終わりにするよ」 「……な……に？」 「僕が君に言うことをきかせるのは今日で最後だ」 「何を企んで……」 「企んでない。君が僕のお願いをきいてくれたら、僕はあのことを誰も言わない。もう君を脅さない」 笑みを浮かべるハリーを、ドラコは困惑した顔で見下ろした。 「……本気か？」 「勿論」 ハリーが大きく頷く。沈黙が訪れた。ドラコは暫くの間ハリーを見下ろしていたが、やがて困惑の表情を消した。ハリーの気紛れかもしれない。しかし、どうせ失うものはないのだ。 「……どうすれば？」 尋ねると、ハリーが淋しそうに笑った。 「もっとこっちに来て？」 促され、ドラコがハリーの方に歩を進める。膝が触れそうな位置でドラコは足を止めた。訪ねる様に首を傾げる。ドラコを見上げ、ハリーが笑みを浮かべた。 「キスして？ 君から」 「何？」 「キスだよ。もう何回もしてるんだから、どうという事もないでしょ？」 言って、ハリーが柔らかく笑う。ドラコは困惑してハリーの顔を見た。ハリーの意図が判らない。推し量るように視線を合わせたが、ハリーは視線を外さなかった。 それはとても簡単なことだった。ハリーの言った通り、回数も判らないくらいしていることで、今更どうということも無い。ドラコはゆっくりと顔を近付けた。 目の前の深い緑の瞳に、ドラコは何故か居た堪れない様な感情を覚えた。ハリーの目は優しくて、ドラコを落としいれようとしている意図は感じられない。視線を合わせていることが出来なくなり、その瞳から逃れる様にドラコは目を閉じた。 触れるだけの、拙いキス。それが今のドラコには精一杯だった。 寝台の上で抱かれながらハリーに命じられたのだとしたら、ドラコはもっと上手くやれただろう。しかし、目の前に居るハリーの穏やかな視線がドラコを落ち着かなくさせていた。 こんな拙いキスでは莫迦にされるかもしれない。短いキスの後、そう思いながら目を開けると、ハリーはやはり穏やかな目をしたままだった。 「……これで君は自由だ。僕はもう、君を呼び出したりしない」 ハリーの静かな声が聞こえてくる。ドラコは困惑した表情でハリーを見た。何故だか、自分が酷く悪いことをしているような気がする。正体のわからない罪悪感に襲われ、ドラコはその場に立ち竦んだ。 優しそうに笑みを浮かべて自分を見上げているハリーが、酷く辛そうに見えるのは何故なのだろうか。 「……もう行って。君は、自由だ」 優しく促され、ドラコはハリーから視線を外した。そのまま、ドラコは逃げる様に隠し部屋を後にした。 next |