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2005年発行の合同誌に寄稿したものです。 原作後半を無視したお話になっております。 |
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― 秘め事 ― ホグワーツでは、既に日常の光景と化している物事が沢山ある。例えばスネイプ教授が不機嫌な顔で廊下を歩いていたとしても何かあったのかと思う生徒はいないし、ウィーズリー家の双子がにやにや笑いを浮かべていても、また碌でもないことを企んでいるのだろうと一瞥するくらいだ。そして、グリフィンドールとスリザリンの生徒が諍いを起こしていても、多くの生徒はまたかと思うだけで気にもとめない。中でも、グリフィンドールのハリー・ポッターとスリザリンのドラコ・マルフォイの諍いはあまりにも日常に溢れていて、誰もがそれを変わらない、当たり前の事だと思っている。 その日、ロンは一人で廊下を歩いていた。昼食を摂りに大広間に向かう途中、忘れ物をしたことに気が付いて、一人教室に戻ったからだ。どうせ昼休みで急ぐ必要もないと、ロンはゆっくりと廊下を歩いていた。大部分の生徒は既に大広間に居るのだろう。廊下にはあまり人が居ない。閑散とした昼間のホグワーツは何か自分一人の空間といった感じがして、どことなく上機嫌だったロンは、視界に入った日常の光景に、またか、と足を止めて肩を竦めた。 視線の先では、親友の一人が中庭に面した回廊で足止めを食らっていた。黒髪の親友の前には、白金の髪の少年が立っている。 「よくもまあ、飽きないねえ」 人気のない気安さで呟き、ロンは二人の姿を見下ろした。もう一人の親友であるハーマイオニーは取っている教科が違うので既に大広間に居るのだろう。ハリーは一人だ。対してドラコの方も、今日は一人だった。お付の二人は大広間で食べ物に囲まれているのかもしれない。 加勢に行かなくては、という感情は湧かなかった。以前はそう思ったりもしたものだったが、最近ではたとえ一緒にいたとしても嫌味や皮肉を返すのは親友に一任している感がある。なにせ最近のハリーは、嫌味も皮肉も三倍返しといった風なのだ。 見下ろした先でハリーが口の端を上げた。そろそろ終盤なのだろう。遠くから見ていても、ドラコがお約束の捨て台詞を吐いているだろう事が判る。恐らく羞恥と悔しさに青白い顔を紅く染めてハリーを睨み付け、莫迦にするような視線を返されているに違いない。 その様子を眺めて、ロンは困ったように頬を掻いた。見下すような笑いが、やけに親友に似合っていたからだ。傍から見ると、寧ろハリーの方がドラコを苛めているようにも見える。更に、ドラコの見目がその感覚を助長させていた。体格の良いお付二人に挟まれていなくとも彼がとても華奢なのが判って、頬を紅く染めて何かを言っている姿は何処か幼い。 ―――ふてぶてしさでも、ハリーに軍配を上げるしなあ。 親友とは思えない暴言を心の中で呟いて、ロンは三倍返しを実行したであろうハリーが大広間に向かって歩き出すのを見送った。不機嫌になるでもなく歩いているハリーは、今まで話していたドラコのことは最早眼中になさそうだ。 ―――あれだけ相手にされなくて、よくもまあ懲りずに突っ掛かってくるよなあ。 半ば感心したようにそう考え、ロンは吹曝しの回廊に一人立っているドラコに視線を落とした。強く握りこまれた白い拳が、彼の怒りを表しているかのようだ。 回廊を見下ろせる位置にある廊下に居るロンは、自分が見ている事に気が付かれることもないだろうと、暢気にドラコの様子を眺めた。こうして遠くから鑑賞していると、先ごろ耳にした会話にも納得がいく。綺麗だとか、可愛いだとかいう形容を聞いたときには眉を顰めたが、成る程、遠くから見る分にはそうかもしれない。整った造作も、綺麗に流れる白金の髪も、全体に色素の薄い容貌がとても綺麗だと言われれば肯定するしかない。 そうして鑑賞していると、ふと、ドラコが振り返った。その瞬間、ロンは隠れるのも忘れて目を見開いた。視線の先で、ドラコが泣きそうな表情を浮かべたまま歩き出す。人気のなさが、彼に表情を作らせなかったのだろうか。しかし、泣きそうな表情を浮かべている自覚はあるのだろう。僅かに早足になっている。 ロンはその場を動けなかった。呆然と視界から姿を消すドラコを見送る。 ドラコ・マルフォイの顔といったら、嫌味な笑いを浮かべているか、羞恥や怒りの表情を貼り付けているか、だ。気弱な表情など、見たことがない。ましてや、傷付いて泣きそうな顔などは。 気が付くと、ロンは走り出していた。 微かに聞こえる靴音を頼りに辿り着いた場所は、奥まった場所にある廊下だった。走った為に上がってしまった息を整えながら、ロンは誰もいない廊下を見渡した。幸いなことなのか、ロンは素行に難ありな双子の兄のお陰と、ハリーと探検をしたお陰でホグワーツ城について他の生徒よりは詳しい。一瞥して、ロンは壁に掛かった絵の前に立った。ロンに気が付き、額縁の中の白い猫が寝そべったまま緑色の瞳をロンに向け、それからまた興味を失くした様に目を閉じた。ロンは額縁の周りを指でなぞると、微かな凹みを見つけた。そこを指で軽く三度叩くと、横に滑る様に絵が移動した。白猫が抗議の眼差しをロンに向ける。 彼がここに居るとは限らない。もし居たとしたら、良いからかいのねたになるだけだ。ハリーに言い負かされて泣いている彼を、自分は笑いに来たのだ。 言い訳じみたことを考えながら、ロンは目の前に現れた扉の取っ手に手を伸ばした。 室内は、廊下よりも少し寒かった。誰が使うと思っているのか、室内は綺麗に掃除され、くつろげるようにと配慮したように調度品が配されている。 室内にある黒い革張りのソファーに、ドラコが膝を抱えて座り込んでいた。膝に顔を埋め、そのまま動かない。ロンはその場で足を止め、扉を閉めた。その音で、漸くドラコが顔を上げた。誰かがこの部屋に来るとは思ってもみなかったのだろう。ロンの姿を認め、呆然と目を見開いている。どうにも気まずい雰囲気に、ロンは所在無くその場に立ち尽くした。 数秒の後、我に返った様にドラコはロンを睨み付けた。しかし、泣いていた事が判る赤い目で、羞恥に白い頬を紅く染めた状態では睨まれた方は戸惑うだけだ。 「笑えばいいだろう！ ドラコ・マルフォイはこっそり悔しくて泣いているって！」 その声に、ロンは困ったように頬を掻いた。どう見ても、彼が悔しいだけで泣いている様には見えない。 「出て行け！ そして好きなように言い触らせば良いさ！」 自棄になった様にそう言い捨てて、ドラコがまた膝に顔を埋めた。そうしている彼は小さくて、何処か幼い。ロンは泣きそうな顔を見てしまった時と同じ感情に襲われた。まず始めに、憐憫に。それから、慰めてあげたくなってしまったのだ。 隠し部屋でこっそりと泣いている彼は、憎たらしいスリザリンのドラコ・マルフォイではなく、繊細で幼いホグワーツ生に見える。ロンはドラコの前に歩を進めた。 「えっと……君さあ……」 言い掛けて、ロンは言葉を止めた。 言い負かされ、悲しくて泣くくらいなら、何でハリーに突っ掛かるのさ。 そう訊こうとした瞬間、ふと、判ってしまったのだ。妹のジニーは兄のビルが帰省すると、独占するようにずっと話し掛けている。双子は兄のパーシーに怒られると判っていてちょっかいを掛けていて、その様子は寧ろ怒られたいのではないかと呆れてしまう程だ。斯く言う自分は、幼い頃母や兄に纏わり付いていたことがある。 つまりは、彼はハリーに構って欲しいのではないだろうか？ 「君、ハリーの事が好きなの？」 ロンがそう言った瞬間、ドラコの肩がびくりと震えた。僅かな間をおいて、そんなわけないだろう、とくぐもった声が返ってくる。 「えっとさあ、あのやり方は逆効果じゃないかなあ。ハリーって、敵だと思ったら容赦ないから。嫌味を言われたら当然三倍返し、っていうか」 「僕はっ、あんな奴嫌いだ！」 叫ぶ様に言い、ドラコがロンを睨み付けた。これ以上話をする気はないという意思表示にか、立ち上がりそのまま扉に向かって歩き出す。 「嫌味言われてハリーは腹が立って、君は言い返されて傷付いて。それじゃ良い事なしじゃない？」 「……僕は、傷付いてなんていない」 ロンの言葉に足を止め、ドラコが震える声でそう答えた。俯いているドラコの表情は良く判らない。しかし、掠れた声は怒りの為ではないだろう。ロンはドラコの正面に回ると、白金の髪を見下ろした。彼は殆ど頭一つ分自分より背が低く、決して筋肉質とは言えない自分と比べても華奢だ。ロンは俯いたままのドラコの頭に手を伸ばした。細い白金の髪を、ゆっくりと撫ぜる。 「もっと普通に話し掛けてみるとか。……怒らせないようにしてみたらどうかなあ」 「……無視される……だけだ」 薄い肩が震え、彼の目から零れた雫が、石畳に染みを作った。やがて微かな嗚咽の声が聞こえてくる。ロンは困った様にドラコを見下ろした。 「……ポッターは……僕が……嫌いだ。……とても」 途切れ途切れに、小さな声が零れる。そんなことはない、と白々しく慰めるわけにも往かず、ロンは困ったように頬を掻いた。 「えっと……これで良かったら、使う？」 言って、ロンが手を差し出す。問う様に顔を上げたドラコは、訳の判らなさに一瞬涙が止まった様だった。不思議そうに小首を傾げる。 「ハンカチ、ないから」 ロンの言葉に、ドラコが視線をロンの手に戻した。どうやら差し出していたのはローブの袖らしい。ばつが悪そうなロンの様子が可笑しくて、ドラコは小さく噴出した。 「……グリフィンドールは、ハンカチも持ち歩かないようだな？」 「あー。でもこれで結構どうとでもなるんだよ？」 言って、ロンがローブの袖を振る。その様子に、ドラコが小さく笑った。 ―――確かに、彼は可愛いかも知れない。 初めて見る、嫌味も蔑みも含まない笑みを浮かべるドラコに、ロンの顔が紅く染まった。そんな様子に気が付いた風もなく、顔を上げたドラコがロンに向かって微笑を浮かべた。 「それなら、遠慮なく借りようかな」 「え？」 彼は使わないだろうと思っていたロンは、驚いて目を瞬いた。そうしている間に、ドラコが距離を縮めてくる。 立ち尽くすロンの肩に瞼を押し当て、ドラコが動きを止めた。 自分の肩に顔を埋めて嗚咽を漏らすドラコに、ロンは憐憫の情が増すのを感じた。以前の彼なら、間違ってもロンに泣きついたりはしなかっただろう。そうしてしまう程に、彼は独りで傷付いていることに疲れてしまっていたのかも知れない。 白金の髪を撫ぜると、彼がしゃくり上げた。優しくされると、涙腺は益々緩む。 堪えていたものが一気に溢れてしまったかの様なドラコの様子に、ロンは昼の終わりを告げる鐘の音が聞こえるのも構わずに、その場に立っていた。 next |