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図書室の奥にある書棚の付近は、人気がなかった。ハーマイオニーは書棚の間を、奥へ奥へと歩を進めた。一番奥で足を止め、書棚に並ぶ本の背表紙に視線を向ける。 ―――最近、ロンが変だ。 じんわりと目の奥が熱くなるのを感じ、ハーマイオニーは唇を噛んで俯いた。 双子の言葉を直ぐに信じたわけではなかった。しかし、ロンの態度を見てしまえば、認めるしかない。軽い風を装った質問に、彼は顔を真っ赤に染めていた。そのうえ、最近ではレポートや課題でハーマイオニーを頼ることも少ない。そして止めの様に、ロンが誰かのメモを手に課題に向かっている姿を何度か目にしてしまったのだ。つまりは、彼は確実に誰かに会っているということだ。しかも、もう一月も。 自分の気持ちに気が付いても何もしなかったのは、今の関係を崩したくなかったからだった。ハリーに気兼ねをしたというのもある。とても近く、しかし近過ぎない関係は居心地がよく、わざわざその関係を変える必要はないと思っていた。 ―――こんなことなら、言ってしまえば良かった。 ついに溢れ出した涙を指先で拭い、ハーマイオニーは涙を止めようと目を閉じた。ロンには今更言えない。ハリーに相談することも出来ない。隠し事をしているロンと、最近妙に不機嫌なハリーには、今の自分の感情を知られたくない。 「……天変地異の前触れか？」 突然掛けられた声に、ハーマイオニーは弾かれた様に顔を上げた。その瞬間、選りにも選って、という思いに襲われた。取り繕い様のない状況に、ハーマイオニーは開き直った様にドラコを睨み付けた。 「ええそうよ！ 明日は台風よっ。判ったら放っておいて頂戴っ！」 図書室であることと、人が来ない様にと配慮して小声で言う。最近では衝突する回数は減ったとはいえ、ハーマイオニーはドラコに良い感情は持っていない。ハリーの様に辛辣な攻撃をしようとは思わないが、特に友好的になりたいとも思わなかった。特に今は、関わって欲しくない。 そう思っていたので、差し出されたハンカチにハーマイオニーは驚いてドラコを見上げた。 「グリフィンドールは、皆ハンカチも持ち歩かないらしい」 「し、失礼ね。持ってるわよ」 言い返すハーマイオニーに、ドラコが微かに口の端を上げた。その様子は、何だ元気じゃないか、と言っている様にも見える。 「……でも、借りることにするわ。あなたのハンカチを汚すチャンスなんて、滅多にないもの」 言って、ハンカチを受け取ると、ドラコが微かに笑った様な気がした。 手触りからして自分のとは違う高級そうなハンカチに、顔を埋める。開き直ってしまったハーマイオニーの涙腺は、遠慮や我慢を忘れたらしい。次から次へと、涙が溢れて来た。 暫くして、ハーマイオニーは漸く顔を上げた。見ると、少し離れた場所で、ドラコが立ったまま本を捲っている。ふと、ハーマイオニーの視線に気が付いたのか、ドラコが顔を上げた。 「気が済んだか？」 言って首を傾げたドラコに、ハーマイオニーは頷きを返した。実際、泣いて少しすっきりした気がする。 「あの……ありがと」 「いい。やる」 ハンカチを差し出したハーマイオニーに短く答えると、ふと、何かを思い付いた様にドラコが口の端を上げた。 「グリフィンドールも、ハンカチくらい持ち歩くんだな」 それだけ言って、ドラコが本を手に背を向ける。 「失礼ね！」 歩き去る背中にそう言うと、ドラコが微かに笑ったのが見えた。ドラコが居なくなったことで、視界が開ける。どうやら彼は、通り掛った生徒に泣いている自分が見えないようにしていてくれていたらしい。 その事に気が付き、ハーマイオニーは微かに笑みを浮かべた。 予想通り自分に向けられることのなかった視線に、ハリーは苛立ちを覚えた。一気に頭に血が上る。自分では意識しないまま、言葉が零れた。 「ああ。最近静かだと思ったら、誰かさんが絡んでこないからか。眼中にないから、気が付かなかった」 知らず、嘲る様な笑みが浮かぶ。見下す様な一瞥に、ドラコの肩がびくりと震えたのが見えた。そのまま振り向くことなく歩き去っていったドラコを目で追い、ハリーは微かに目を細めた。 「ハリー……」 咎めるような響きを含んだ声が、隣から聞こえた。その瞬間、ハリーの顔から不機嫌さが消え、貼り付けたような笑顔が浮かぶ。 「お腹空いちゃった。早く大広間に行こう」 ハリーがそう言って笑うと、ハーマイオニーは戸惑う様に言葉を止めた。あからさまな態度が、質問や追及を拒絶している。笑みを浮かべたまま、ハリーは困惑したような表情を浮かべている親友二人に視線を向けた。ロンの表情に至っては、何処か咎める風だ。 そのことが、ハリーの苛立ちに拍車を掛けた。 それでなくとも不愉快なのに、何故ドラコのことで親友二人から咎めるような目で見られなければならないのだろうか。 苛立ちの元凶であるドラコに、益々腹が立って仕方がない。それなのに、苛立ちを発散できる相手は今では殆ど自分と視線も合わせようとしないのだ。 行こう、と短く促して、ハリーが歩き出す。背を向けて二人から顔が見えなくなった瞬間、苛立ちがハリーの表情に表れた。 いつまでも隠し事をしているロンにも腹が立っていないとは言えない。言えないのなら完璧に隠せよ、と八つ当たりじみた考えまで浮かぶこともある。一人我関せずといった風なハーマイオニーにも、苛立 っているのは自分だけかと時折腹が立つ。しかし、一番腹が立つのはドラコに対してだ。 大広間で夕食を取り終わっても、苛々は治まらなかった。結局、その日スリザリンの席にドラコは現れず、ロンは早々に何処かに行ってしまった。ハーマイオニーも何かを考え込んだままだ。 自分だけが苛立っている状態に理不尽さを覚えて、ハリーは唇を噛んだ。三人とも好き勝手にしているのに、まるで自分だけが囚われているかの様だ。 酷い苛立ちを覚え、しかしハリーは、その原因を決して追求しようとはしなかった。 膝を抱えてソファーに腰掛け、ドラコはぼんやりと床に視線を落とした。そうして縮こまったまま目を閉じる。普段なら行儀が悪いと決してしないその姿勢は、何故だか奇妙に落ち着く。ドラコは隠し部屋で一人になれる時によくそうしていた。外の喧騒も届かない、奥まった場所にある部屋で、時計が時を刻む音だけが聞こえる。 暫くすると、微かな物音が聞こえた。しかし、ドラコは顔を上げなかった。そうしているうちに、人の気配が近付いてきて、柔らかく髪を梳かれた。 ロンが隠し部屋に来るようになってから、もう二月になる。特に約束をしたわけでもなかったが、何故かロンは、ハリーと衝突してドラコがこの部屋に来ると遅れてここに来るようになっていた。先手を打つように、誰にも言わなから、と言った彼がこの部屋に来るのを、ドラコは特に咎めなかった。ロンといる空間が、思いの外心地よかったからだ。 ドラコが緩慢な動作で顔を上げると、困った様な顔をしたロンが目に入った。彼が何か言おうと口を開き、それからまた困ったように頬を掻く。お人好しな彼元来の性格の所為だろうか。それとも親友の容赦のない行動に、何か思うところでもあるのだろうか。どんな理由で彼がここに来ているにせよ、ドラコにとってそれは少なからず助けになっていた。 気が楽なのは、自分が彼に何の期待もしていないからだ。 何処か後ろめたいものを覚え、ドラコは目を伏せた。ドラコにとってロンは、自分を傷付ける存在ではない。例えば彼が自分に興味を失くし、関わることを止めたとしても、自分は何も感じないだろう。元々ウィーズリー家の人間は味方ではない。ある程度距離を気にしなくてはならない同寮生でもない。自分にとって何でもない存在であるということが、楽だった。 「……君の言う通りだと思う」 「え？」 「怒らせても良い事なんてない。関わらない方が良いんだ」 言って、隣に座ったロンに寄り掛かる。気遣うようにロンが自分を見ていることに気が付きながら、ドラコは視線を合わせようとはしなかった。 感情が揺れ動くのは、相手に何らかの感情を抱いているからだ。 胸の痛みを覚えて、ドラコは硬く目を閉じた。 ―――気が付かなければ、きっとこんな風に苦しく思うこともなかったのに。 彼を好きなのだと気が付かなければ、嫌われているという事実を気に留める事もなかったのかも知れない。ハリーと目が合った瞬間に、痛みを伴うような感情の揺れを覚える事もなかったのかも知れない。 なるべく顔を合わせない様にしている今でさえ、ハリーの言動は酷くドラコの感情を揺さぶるのだ。 傷付くのはもう嫌だった。漠然とした、期待の様なものを抱き続けているのも嫌だった。吐き出せない感情が、酷く重い。 「関わらない方が、良いんだ」 「……それで良いの？」 「……良い」 戸惑いを含んだ、気遣う様なロンの声に、呟く様に答える。 「少し距離を置いてみるのも良いかも知れないね。……疲れている時は」 何処か優しいロンの声を聞きながら、ドラコは何も考えずに頷いた。気負うことのないこの時間が、心地よかった。同情されているのかも知れないと思っても、苛立ちは感じなかった。ただ、利用すれば良いのだ。 そう言い訳をして寄り掛かってしまうほど、ドラコは疲れていた。 next |